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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

不謹慎狩りをするよりもー寄付こそが自分にとっての正義と示す時

「熊本地震で"不謹慎狩り"する人.先回りする紗栄子」(4/24デイリーニュースオンライン・ネタりかより)というプチ鹿島さんの記事に頷く思いだ。

"不謹慎に目を光らせる理由は「ヒマだから」だけで片づけられるだろうか。もっと他の理由もある気がする。たぶん彼、彼女らがイヤなのは「頑張っている俺、私」を見せつけられることなのではないか。もっと言えば、うっとりしていて鼻につく人を見るのがイヤ。

そう考えると「不謹慎」の意味も異なってくる。被災地のことを考えてというより「お前なんぞが目立つのは不快であり不謹慎」という意味なのだと思う。被災者がいるという絶対正義を獲得した非日常では堂々とぶつけやすい。先回りの通せんぼである。"(記事より)

プチ鹿島さんは、"正義にお腹を空かせた人"と上手い言い方をされていたが、それは即ち、自分の鬱憤ばらしのために、隠れ蓑となる正義を探している人ということだと思う。そのような人たちに向かって、

"・・・「でもあんたらにできるのか」と言っているようにみえる。
紗栄子の先回り感すごい"

という締め括りに、目を吊り上げ、手を振りかざしていた人全部が、ドッドッとずっこける姿が見えるようだ。「正義」と大きく書かれたお面も、団扇も、すっ飛んでもはや役に立たない。

実際、500万ってとても大きな金額だ。お金があるからと言うかもしれないが、そうだろうか。それなら、自分の年収だったら、それは幾らに値するか考えてみてほしい。そして、偽善とか何とか言う前に、それは、自分が簡単に差し出せる額かどうかもじっくり考えてみてほしい。

自分は何もせず、顔が見えないのをいい事にネット上であれこれ人を叩くって、まさにこれこそ下衆の極みだ。しかし、"「でもあんたらにできるのか」"と、挑戦を受けたら、スクッと立ち上がって、ビシッと寄付でもして頂きたい。それこそが、自分にとっての正義となるだろう。お節介のようだが、郵便局の窓口で、ゆうちょ銀行の口座に振込む場合に限り、手数料は無料だ。

*昨日夕方のラジオで聞いたのだが、市役所の職員を騙って電話してくる義援金詐欺もあるようなので、十分気をつけたい。