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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

田中一村の『アダンの木』に魅せられて

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奄美の杜8ービロウとブーゲンビレア(複製画部分)

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奄美の杜8ービロウとブーゲンビレア(複製画全体)

会社を辞める時、知り合いから頂いた物の一つが、田中一村の複製画だ。切手となった下の部分よりも、むしろ上の方が好きだ。半分だけ写真に収めてから、勝手に上下に分けたりしてこれでは台無しだと、どれほど画家からどやされることかと想像して思わず苦笑する。

どん底の暮らしの中でも一村は、売るための絵は描かないと言い、人に見せることさえ嫌って、目につかない所にしまって置いたという。また、自分の絵には絶対の自信を持ち、素人に批評されることなどもっての他だったらしい。「素人判断は危険です」(『絵のなかの魂 評伝・田中一村』湯原かの子・新潮社・2001年・P・108)、と自分の絵の価値判断は、美術学校入学時の旧友に頼んでくれるよう書き送っている。

本を読みながら、まるで求道者さながらに、全身全霊で絵に向かっている画家の姿が浮かんでくる。製作中は、敬愛する姉さえ画室に入るのを許さず、全神経を絵に集中させていたという。実力以外の諸々に支配されている画壇に失望し、"自分の良心が求める絵を描く"ことを貫き通そうと覚悟を決めるまでには、心の中にどれほどの葛藤があっただろうか。

「絵は最後には描いた人を離れ、ひとり歩きします。絵の中の魂は永遠に生き続けるのです。私の名前は誰も知らなくてもいいし、絵が描き上がった時に自分の名を残す必要もないのです。・・・真実の絵を書き残すことが、私の生きる道なのです。・・・絵の中にある真実が人の心に感動を与えるのです。・・・」(P・148)

そして、
"「五十年後、百年後に理解されればいい」と画家自ら語っていた奄美の作品は、画家の死後数年で、奄美の人々を中心に開催された遺作展や、NHK主催の展覧会あるいはテレビ放映を通じ、世に広く知られるところとなった。"(P・201)

一村の絵に、その生き方が重なるからこそ、私たちの心により強く響いてくるのだと思う。実際私も、NHK日曜美術館で一村を知り、千葉市立美術館まで駆けつけた組だ。だが、いざ奄美で描かれた絵の前に立つと、画家個人のことはすっかり頭から消えてしまっていた。中でも『アダンの木』は、吸い寄せられるように何度もその絵の前に戻ってしまった。

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雑誌の表紙となった『アダンの木』(P・200より)

フランスの雑誌に使われたというこの絵は、中央から右上に湧き上がる雲が少し分かりずらいが、表紙としては、すっきりとしてとてもいい。だがこれは、絵全体を見た方がもっとずっと味わい深い。眺めても眺めても人を惹きつけてやまない、そんな絵だ。