照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

さまざまなセザンヌ像にやや疲れ気味な今日この頃

このところずっとセザンヌに関しての本を読んでいるが、研究者毎のセザンヌ像があってなかなか読みにくい。皆さん崇高の度合いが強く、自分の中からありとあらゆる賛辞の言葉を探しているのではと思わせられる絵の解説には、とりわけ辟易する。

もっと淡々と綴られた本はないものかと思うが、案外難しい。複雑な言い回しや、文学的を意識したような文章は、とても読み続けられなくて途中で止めてしまったこともある。それらは大抵かつて挫折して、再度挑戦したもののやっぱりダメだったという本である。

本人の興奮そのままというような思い入れたっぷりの文章は、逆に読む者の気持ちを遠ざけてしまう気がする。数十年も前になるが、ある本を土台にしたテレビドラマがあった。主演の俳優さんが、涙を流しながら詩だか本の一部だかを朗読する場面で、観るこちらはまったく引いてしまったのを思い出す。本もそれと同じで、感情移入が激し過ぎると逆効果になる気がする。

それにしても、書くって難しいと感じる。でもそれは文章に限ったことではない。何でも実際に自分でやってみて、初めてわかることでもある。自分は批判ばかりしたくなる傾向にあると思う場合は、殊に不得手なことをやってみるといいかもしれない。手を染めずに言うだけというのは誠に容易いが、いざやってみるとなかなか上手くいかないということがよくわかる。

それではと、権威と言われる高名な方々の本に無い物ねだりするよりは、自分なりのセザンヌ像でも書いてみようかと大それたことが浮かんだりもする。だが一方で、そんな壮大なことを考えたところで、資料を読むための語学力もない自分がこれから始めるとなると、いったいどれくらいの時間がかかるだろうと、始める前からため息がでる。

セザンヌが言ったという言葉のいくつかが、私にはよく飲み込めないでいる。例えば、「プッサンに帰れ」だ。その言葉を念頭に、ニコラ・プッサンの絵の前に立ってみても、私に理解するのは難しい。その真意を知りたいと思うので、絵を見るのとは別に、セザンヌに関する知識はもっと必要だ。自分ができもしないで文句を言うより、とりあえずは先達の研究のお世話になろうと、閉じたページを再び開ける。