照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

漫才のようなインタビューでの受け答えに思う

三島由紀夫賞を受賞した蓮實重彦さんのインタビューでの受け答えが、まるで漫才を聞いているかのようで、一言づつが可笑しい。ツイッターで流れていたので、早速その記事を読んでみた。

司会者に今のご心境はと聞かれ、
"「ご心境という言葉は私の中には存在しておりません。ですからお答えしません」"に始まり、
連絡を受けた時はどのような感想を持たれたかと聞かれれば、
"「それも個人的なことなので申しあげません」"
次の質問にも、
"「それもお答えいたしません」"
受賞について喜んでいるかどうかの質問には、
"「まったく喜んではおりません。はた迷惑なことだと思っています。80歳の人間にこのような賞を与えるという事態が起こってしまったことは、日本の文化にとって非常に嘆かわしいことだと思っております。・・・」"
(5/16・朝日新聞デジタル版の記事より)

これを読んでいたら、もうかなり昔、映画に関しての本を読んだ時のことが思い出された。蓮實さんが誰かとの対談の中で、イングリット・バーグマンをバカ呼ばわりしていたのだ。ずいぶん思い切ったことを言う人だなと、イングリット・バーグマン好きの私は心底ビックリして一瞬ムッとしたが、「うちのカミさんもファンなのです」というオチには、ふっと気が抜けた。

人の思惑などまったく慮らず、これだけ自由な物言いができるのは逆に素晴らしい。かといって、毒舌とか本音というのを隠れ蓑に、誰かを批判したり貶めたりしているわけではない。自分にとって答えるに値しない質問は斬って捨てるという姿勢は、見習いたいほど小気味良い。

ある方が、"記者会見やインタビューってのは「質問する側の質が試される」ということがはっきりする。"とお書きになっていたが、それはまさしく蓮實さんが、ジャン=リュック・ゴダールにインタビューした時がそうだった。限られた時間内に、何をどう聞くか、徹底的に研究して質問を準備した人だからこその、今回の応答だったのだろう。実際のインタビュー場面を見たのではないが、決して"意地悪ジイさん"ではないと思う。

人に対するということは、常に自分が問われているということだ。相手の答えにがっかりする前に、自分の浅さを自覚するより他はない。人と対話する楽しさは、お互いの知識や考えを駆使して丁々発止とやり合い、それがさらなる刺激となって世界が広がるというところにある。だが、そんな会話を望む前に、せめて自分のレベルアップに勤しもうと、せっせと今日も本を読む私なり。