照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

意思的で美しい妻オルタンスの姿に〜セザンヌにはこんな絵もあったんだと驚く

セザンヌ』(メアリー・トンプキンズ・ルイス著・宮崎克己訳・岩波書店・2005年)は、しばしば引用される批評家のよくわからない表現や、思い入れの強さに引っかかりながらも読み終えてみれば、セザンヌの軌跡を丹念に探ったその成果に深く感じ入る。セザンヌを扱った他の著者たちに比べれば、ずっと分かりやすくすんなり頭にはいってくる。

 
本に取り上げられている数々の作品に、実物どころか書籍でも初めて目にするものも多く、このようなのもあるんだと新たな目を開かせられる思いだ。
 
瞳にどのような感情も宿らず、まるで静物画のようにさえ見えるセザンヌ夫人の肖像画を見慣れた目には、このように生き生きとした妻オルタンスを描いた作品があったとは驚きであった。本によると、"アジサイはフランス語でオルタンシアと言い、彼女の名はそれに由来している"(P・240)ということだ。
 
じっとこちらを見つめるオルタンスは意思的で美しく、側に配された清らかで優しいタッチのアジサイもまた、彼女自身のように見える。これまではどちらかというと、鈍重でいかなる美の要素からもほど遠そうに見えたセザンヌ夫人が、急に一人の女性として立ち現れたような気さえする。
 
見えたままに描くなどつまらぬとばかりに、工夫に工夫を重ねた作品群の中で、セザンヌの遊び心が表れたよう なこのオルタンスとオルタンシアは、ちょっと素敵な図だ。個人蔵となっているので、実物を目にする機会などまずないだろうが、たとえ本であっても、いつまでも眺めていたいほどだ。
 
私は、カミーユピサロが描いたセザンヌ像も好きだ。長年、ほとんど誰からも認められないセザンヌを励まし続けたという、本の表現を借りれば、"先生ピサロ"の、あたかも大きな掌でセザンヌを包み込むような優しさを感じる。
 
代わってセザンヌ描く自画像には、私は一筋縄ではいきませんよとでも言わんばかりに、目一杯シニカルな雰囲気が漂っていてなぜか可笑しい。そう突っ張らなくてもいいんですよ。たまには気を抜いてと、声をかけてあげたくなる。
 
ニコラ・プッサンや、サント・ヴィクトワール山を、セザンヌはどのように捉えていたかについても教えられることが多く、とても収穫の多い本であった。絵の前で知識は不要とも思うが、画家についてより深く知りたくなった時は、このような本に助けてもらうのもいい。なぜあのようなオルタンスを描き続けたのかが、見えてくる。
 
セザンヌに興味がある人には、お勧めの一冊だ。もちろん絵もたっぷり挿入されている。どうかご自分の目で確かめて頂きたい。