照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

こんなにユーモラスだったのとあらためて注目ー『注文の多い料理店』・他

注文の多い料理店』(宮沢賢治青空文庫より)を改めて読んでみると、なかなか含蓄に富んでいておまけにユーモラスだ。実際はまったく逆の状況であるにも関わらず、何でも自分に都合良く解釈するのは人の常で、ここではその心理状態をうまくとらえている。

あまりに山奥すぎて、案内人すらまごついてどこかに行ってしまい、頼みの犬も泡を吹いて倒れてしまうのだが、そんな場所に突如出現したレストランに不審を抱くどころか、

"「君、ちょうどいい。ここはこれでなかなか開けているんだ。入ろうじゃないか」
「おや、こんなところにおかしいね。しかしとにかく何か食事ができるだろう」"

と、入ることに躊躇しない。そして、

"「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」
二人は大歓迎というので、もう大喜びです。
「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」
「ぼくらは、両方兼ねているから」"

ひとたび信じ込んでしまうと、ドアを開けるたび次々と出てくる指示に何の疑問も持たず、むしろどんどん良い方へと解釈を膨らませて従ってしまう。疑うことなくひたすら思い込み続け、易々と相手の指示に従う様は、今尚被害が減らないオレオレ詐欺を彷彿とさせる。

香水を振りかけるようにとの指示の後ですら、酢の匂いがすることに、

"「この香水は変に酢くさい。どうしたんだろう」"
と思うものの、
"「まちがえたんだ。下女が風邪でも引いて、まちがえて入れたんだ。」"
と、どこまでもお目出度い。

さすがに身体中に塩を塗り込むようにとの指示に、これは自分たちが皿に乗せられる側と気づいてガタガタ震えだす。"おまけにかぎ穴からはきょろきょろ青いふたつの眼玉がこっちをのぞいています"と怖さが増す。

自分たちがどうなるかに気づき、ちっとも入ってこようとしない二人に気を揉む青い眼玉の持ち主たちの会話がまたユーモラスだ。とうとう呼び込みを始めてしまう。

"「呼ぼうか、呼ぼう。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。お皿も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩で揉んでおきました。あとは、あなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、真っ白なお皿にのせるだけです。はやくいらっしゃい。」

こんな呼び込みを聞いたらますます逃げ出したくなるのだが、親分を快く思っていない子分たちではあるが、自分たちの責任になっては大変とそこは必死だ。自分たちなりに効果的と思える精一杯の言葉で、何とか引き込もうとする。

宮沢賢治というと、教科書で出合って知ってるとなりやすいが、大人になって読み返すとまた違った感想が湧く。『毒もみの好きな署長さん』(青空文庫より)などは、アメニモマケズからは程遠い人物が登場するかなりユニークな作品だ。床屋のリキチもなぜか可笑しい。

本来なら毒もみを取り締まる立場の署長さんは、悪事が露呈してしまった後も反省はしない。それどころか首を落とされる前に、

"「・・・いよいよ今度は、地獄で毒もみをやるかな」
みんなはすっかり感服しました。"

で終わるのだが、みんなが感服してしまう最後には驚きだ。このような作品があることで、宮沢賢治により親しみを覚える。今は、青空文庫のおかげで手軽に読むことができるので、何か教訓を得ようなどとは露ほども考えず、単にお話として楽しみたい。