照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

よだかが市蔵という名前だったらー鳥の鳴き声に膨らむ想像

スピーツスピーツ、チュチュチュンにキュルリだかキュウ~イだか鳴く鳥たちに交じって、ギーギーとずいぶんしわがれた声。その姿にオナガと判ったが、スッーと伸びた長い尾を中心に、両翼を広げカッコ良く飛ぶ様子に、その声は似つかわしくないなと思う。

その途端、ア~ア~とやや甘えるようなカラスの声がして、自分の声の方がよほどいいでしょうと、あたかもアピールしているようで可笑しい。いつもの威嚇するような力強い鳴き方はどうしたのと、ちょっと質問してみたい気分だ。それとも、単に私が気づかなかっただけで、場合によって鳴き声を使い分けているのかな。

せっかく可愛らしさを演出したカラスには悪いけれど、ギーという鳴き声はむしろ、カラスに合っているかもしれない。でもそんなこと言ったら、お前なんぞ、名前に鷹がついているのは相応しくないから、明日から"市蔵"と改名しろと迫る、『よだかの星』(宮沢賢治)に出てくる鷹と同じになってしまう。それにカラスは、よだかと違っておとなしくはしていないだろう。こちらを、突っつきにくるかもしれない。

驚いたことに、そんなことを考えている直ぐ側で、いきなりカラスが鳴いた。いつも通りの力漲る声で、「バカ言ってんじゃないよ」という鳴き方だ。あまりのタイミング良さに、私の考えていることわかっちゃたのかなとつい、カラスさんには今のままの声がピッタリですよと日和る。

ところでヨタカは、なかなか凄い顔をしている。以前、中南米に住むタチヨタカに言及したことがあるが、まさかこの『よだかの星』のよだかとは結びつかなかった。同じヨタカ目だが、かなりユーモラスな顔をしたタチヨタカのようであれば、また違った物語が生まれただろうか。

 "よだかは、実にみにくい鳥です。
  顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしはひらたくて、耳までさけています。
  足は、まるでよぼよぼで、一間とも歩けません。
  ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという具合でした。"

作者からこんな言われようのよだかだが、改名するにしても、"市蔵"という名前は果たしてどこから出てきたのだろう。むしろそれこそ、名前負けになるのではないか。よだかよりは市蔵の方が、キリリとした格好良さが感じられる。まるで、歌舞伎役者みたいではないか。見得でも切ってもらいたいものだ。

とまあこのように、何の役にも立たないことには、想像が膨らむ一方だが、名前にしろ鳴き声にしろ、私などが与り知らぬこと。そろそろ現実に戻って散歩を続けようと腰を上げれば、今度は、動きながらずっと鳴きっぱなしの雀に興味が湧いてくる。