照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

モースが見た明治初期の日本ー『日本その日その日』

"モースは、明治10年(1877年)、腕足類(無脊髄動物)を採取するために日本に来た。

旅先の彼を珍種の鳥でも捕まえるようにして、東京大学が動物学の教授としてまねいた。"(『街道をゆく 本郷界隈』P・20)

 そして、モースが2年の滞在期間に果たした業績の大きさを讃えている。また、博物学のようなものは不要と、モースを教授にすることに反対論もあったことや、後に総長となる浜尾新の回想を踏まえて、"なんだか、モースが雄弁で絵がうまかったからパスしたよう"(P・25)にもとれると述べていて可笑しい。

 司馬さんのモースに関する記述、"珍種の鳥でも捕まえるようにして"などの表現が面白く、それなら本人はどう感じているのかと、早速モースが書いた本を読んでみた。

 当のモースは、

"私が非常にいい印象を与えたと言われた。私はノート無しに講義することに馴れているが、この習慣がこの際幸いにも役に立ったのである。"(日本その日その日』エドワード・S・モース著・石川欣一訳・講談社学術文庫・2013年・P・22)

 と、自分の成果に満足しており、よもや自分の絵が、教授採用に関し、大いに寄与しているとは思いもしなかったようだ。

 確かに絵はとても上手で、本の中にもたくさん挿入されているが、人物から建物、道具類に町の様子などが正解に描かれている。また、荷物を運ぶ時の掛け声なども、"ホイ サカ ホイ、ホイダ ホイ"(P・130)と、聞こえた通りとはいえ、なかなかユーモラスだ。

 司馬さんの本には、"モースが無学歴だったことは、よく知られている。・・・基礎知識のほとんどは独学であった。"(『街道をゆく』P・21)とある。学校の枠内には収まりきらなかった人のようだが、その研究が、人に認められるほどにまでなったというのは凄いの一言だ。

 『日本その日その日』からは、横浜に着いた直後から、目にするもの全てに於いて、何でも無邪気に喜んで感激している様子が伝わってくる。カラスにさえ、"彼等は鉄道線路に沿った木柵にとまって、列車がゴーッと通過するとカーと泣き、朝は窓の外で鳴いて人の目をさまさせる。"(P・21)と記述している。但し、観察対象として、来る虫拒まずのモースではあったが、ノミには相当閉口したようだ。

 140年前の日本見聞録とはいえ、モースの見た明治初期の日本がとても興味深く、ついつい本に入り込んでしまう。

 "モースの記述の特徴のひとつは、当時の来日西洋人の多くに見られた、西洋文化優越主義にとらわれていないことだといえる。科学者の曇りない目で正解に対象を捉えようとする姿勢だったともいえるし、十九世紀西洋の価値観にとらわれることを意識的に回避したという面もあろう。"(P・327)

 と、解説にもあるように、モースの素直な目がそこにあるからこそ、心地よく読み進められるのだと思う。現代の私たちが、自国とはだいぶ異なった地へ旅した時に感じるような、古き良き時代へのノスタルジアが漂っているようにも思える。まさに、時代を超えた面白さがある。