照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

言葉及び言葉の持つ力について考えさせられる本ー『舟を編む』

舟を編む』(三浦しをん著・光文社・2011年)を読み終えた時、"一念岩をも通す"言葉というが真っ先に浮かんだ。そして、言葉及び言葉の持つ力についても、じっくり考えさせられる本だ。

辞書編纂という地味な仕事の話だが、引き込まれるように読み終えてしまった。何と言っても、馬締光也のひたむきさがいい。本人が大真面目なのとは裏腹に、会話に漂うユーモラスな感じが、読む者をどんどん馬締ファンにしてゆく。

下宿の大家であるタケおばあさんに、孫の香具矢には馬締のような人が向いていると言われるやすかさず、「では、それとなく、さりげなく、香具矢さんに俺をおすすめしてください」(P・81)と、頼む。

タケおばあさんが、それは難しいとためらうと、部屋にとって返し、唯一賄賂になりそうな「ヌッポロ一番」を抱えてくるとこたつの上に置き、そこをなんとかと頼み込む。

"俺をおすすめしてください"ってセリフ、恋してしまった相手の祖母に対するこの直球、可笑しくて何度も反芻してしまった。世間とは格段にズレている馬締に芽生えた恋心、何とか成就させてやりたくなる。

それからほぼ十年。今や主任となった馬締は、疲れた様子の松本先生(辞書監修者)を気遣えるまでになっている。但し、二人の会話は常に言葉及び辞書に関してだ。一緒に夕食を摂りながら、海外では、自国語の辞書編纂に公金が投入されるが、日本では、公的機関が主導して編んだ国語辞書は皆無だが、むしろそれで良かったと言う松本先生。

"「言葉は、言葉を生みだす心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものなのです。また、そうであらねばならない。自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟。『大渡海』がそういう辞書になるよう、ひきつづき気を引き締めてやっていきましょう」(P・226)
と、既に十数年に及ぶもまだ完成しない辞書作りに意気込みを示す。だがこのすぐ後、身体に不調をきたした先生は入院してしまう。

思わしくない先生の病状に、早く辞書を仕上て労に報いたいと奮闘を続ける辞書編集部一同。待ちに待った『大渡海』が印刷される日、馬締はこれまでを感慨深く振り返る。

"辞書もまた、言葉の集積した書物であるという意味だけでなく、長年にわたる不屈の精神のみが真の希望をもたらすと体現する書物であるがゆえに、ひとの叡智の結晶と呼ばれるにふさわしい。"(P・249)

そして、刷り上がったばかりで裁断まえの一枚紙を持ち、松本先生の病室に駆けつける。喜ぶ先生。だが、発売を目前にして、松本先生は亡くなる。

"先生のすべてが失われたわけではない。言葉があるからこそ、一番大切なものが俺たちの心の中に残った。
・・・・・
先生のたたずまい、先生の言動。それらを語りあい、記憶をわけあい伝えていくためには、絶対言葉が必要だ。
・・・・・
死者とつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生みだした。"(P・258)

と、『大渡海』完成祝賀パーティで、馬締は松本先生を偲びながら思う。

改めて、言葉について振り返りたくなる。