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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

気を配るー『高倉健インタヴューズ』を読んで

この本の中で、(『高倉健インタヴューズ』(野地秩嘉プレジデント社・2012年)高倉健さんは、気についてしばしば言及されている。

"いい映画には役者が発する気が現れている。役者同士がぶつかる火花と言ってもいい。"(P・20)

"いい映画、いい撮影現場には役者やスタッフが発する気が現れている。"(P・62)

そして、ご自分でも、良い気を発することを常に念頭に置いている。

山田洋次監督に、芸術とはどのようなものかと質問した時の答えを引き合いに出して、次のように言う。

"「何度見ても聞いても飽きがこない。それだけでなく、それに接した人が、自分も自分の世界で頑張らなきゃいけないと励まされるようなものが、芸術ではないでしょうか」(山田洋次監督の言葉)
・・・・・
演技だってそうじゃないでしょうか。・・・僕は気のこもった演技をやっていければと思ってるんです。"(P・22~23)と言う。

また主役として、周りに迷惑を掛けないよう体調管理には十分心を配っている。

"撮影中には、病気とケガに気をつけている。お相撲さんと俳優を一緒にしちゃいけないけれど、ケガする人は駄目ですね。横綱で名を残した人に病気がちの人、ケガばかりしている人はいないでしょう。"(P・95)

そして、共演者に気を配るのもその表れだ。

"すべて、自分も出演している映画のためだからというようなことをサラリと言ってスッと姿を消す。相手を恐縮させまいとのこのような配慮に感銘を受けた者は、次に続く者たちへ、受けたものを同じように渡そうと決意する。"(P・128宇崎竜童さんの話要約)

医師の帯津良一先生も、いい「場」に身を置くことの重要性をたびたび言われている。私なりの解釈では、いい「場」とは、いい気が集まっているところだと思う。

そして、気配りとは文字通り、人及び物に対して細かい注意を払うことだが、それだけでなく、気が不足している人へ、自分の気を分け与える、つまり配るイメージも浮かんでくる。

映画製作という一つの目的に向かって場を高めるため、高倉健さんは一出演者として、現場でさりげなく気配りしていたのかなと思えた。

全編いい話だなと、読み終えても尚、惜しむようにパラパラとめくってしまう。以前も読んだのだが、もう一度じっくり読みたいと借りてきた。ついでに言うと、手元にある高倉健さんのエッセーも、折にふれては繰り返し読んでいる。そのたび、しみじみとお人柄が胸に響く。