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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

『伊東マンショの肖像』と『親指のマリア』ー国立博物館にて

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伊東マンショ肖像 パンフレットより

天正遣欧使節団といっても、何それって言われそうだ。事実私も、昨年末にポルトガルへ行くまでは、歴史で習ったことさえ忘れていた。でも、1582年に、長崎を旅だった少年たちがいたと知るや驚かざるを得ない。キリシタン大名の名代として、ヨーロッパに派遣された13歳前後の少年たち4人のリーダーが伊東マンショだ。

次いでその名を聞いたのが、今年2月に訪れた宮崎・西都市であった。私を西都のあちこちへ案内してくれながら、ご自身その地出身である友人がさりげなく発した、「伊東マンショもここの出身なのよ」の言葉に、心底びっくりした。いきなり現われ出た伊東マンショだが、更にしっかりと私の胸に刻み込まれた。

すると今回、国立博物館のホームページを見ていたら、「新発見!天正遣欧使節 伊東マンショの肖像」、なんと三たびのお出ましである。「ほほえみの御仏」展に行く際、ぜひお会いしてこようと決めた。

イタリア人画家が描いたからか、それとも服装ゆえか、ちょっと日本人らしくない。描かれたのが1585年なので、推定16歳くらいだが、よほどしっかりしていたのか、今の時代感覚からするともっと上に見える。帰国したのは、秀吉が伴天連追放令を出した2年後の1590年だ。その後の大変な人生を暗示しているような眼差しにも見えて、やや哀しげに思えるのは、後出しジャンケンの深読みか。

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親指のマリア パンフレットより

本館7室(2階)には、使節団の行程図はじめ関連ある作品等も展示されている。キリスト教禁制下の江戸時代、1708年に日本にやってきたイタリア人宣教師シドッチが携行していたという聖母像(親指のマリア)もあった。ちなみに、2014年に、小石川のキリシタン屋敷跡から見つかった遺骨が、シドッチとみられている。

また、その絵は、フィレンツェで活躍した宗教画家・カルロ・ドロチの聖母像に酷似しているといわれているが、ドロチの作品『悲しみの聖母』を、国立西洋美術館の常設展で見ることができる。こちらは4月に見ていたので、『親指のマリア』も見たいと思っていたところだ。今回はどれも皆、まるで私の希望に合わせてくれたかのように一箇所に集まったので、嬉しくなってしまう。

他にも、本館の1階・2階共に見るべき優れた作品が多い。御伽草紙「鼠草紙」(8/6まで展示)はぜひお勧めだ。広重や北斎蕭白光琳の絵も、展示数は少ないが見応えがあった。