照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

考えるヒントがぎっしり詰まっている本ー『愚か者、中国をゆく』

旅の本は好きだ。旅のコーナーにあった『愚か者、中国をゆく』(星野博美著・光文社新書・2008年)を、手に取ってパラパラめくっていると、次の箇所に目が留まった。

"人と荷物でぎっしり埋まった通路を通りぬけ、ようようトイレから戻ると、著者たち二人の座席には、あろうことか、小さな子ども二人を連れた老夫婦が座っていて、何度お願いしてもどいてくれない。

その人たちの経済状況から何からさまざまなことが頭に浮かび、理性では座らせてあげたいと思う。だが、自分たちも半日立ち続けるわけにもいかない。困って回りを見ても、周囲からは援護どころか、次々に野次が飛んでくる。"(P・161~164要約)

ついには、その野次のひとつにぶち切れて、

"「我々二人には、ここに座る正当な権利がある!しかしあなたたちにその権利はない!」
周囲がしんと静まりかえる。こんなことはいいたくなかった。いわずに済むなら、一生いいたくはない言葉だった。"(P・164)

その言葉におばあさんは、思いっきりの悪態を浴びせてようやく席を立つ。だが、それは勝利でも何でもなく、周囲の冷たい視線に晒され、目的地に着くまで、針のむしろ状態であった。(P・164要約)

私はこの箇所に、旅への向き合い方がよくでていると感じた。"自分の身も心も壊してしまう"ほど劣悪な列車内では、人への安易な同情は禁物だ。しかも、切符の入手(1987年当時の中国)がどれほど困難だったかを思えば、なおさらだろう。

そして、目的地を変更してまで立ち寄った、万里の長城の西端の関所である嘉峪関で、あまりの感動のなさになぜかと考えるあたりからが非常に興味深い。

"日常を引きずったまま、・・・何の苦労も懸念もなく旅先に到達できれば、・・・、少々意地悪な言い方をすれば、そういう状況下では、さして感動するようなことではないことに、たやすく感動できるともいえる。"(P・206)

シルクロードを進むにしたがって、更にさまざまなことに考えを深めてゆく。その思考に沿って、こちらも旅というものの本質について自分なりに考えさせられる。

 旅全般への考察もさることながら、当時の香港や中国についての分析が鋭い。先日の、『戸越銀座でつかまえて』のふんわり感に比べ、格段に読み応えのある本だ。

同級生の間で、聖子ちゃんカットと「ハマカジ」「ハマトラ」が流行っていた時代に、人民服と人民帽で大学へ通う著者は、"「お願いだからそんなへんな格好で外を歩くのはやめてくれ」と、親に泣かれた。"(P・8)という。このエピソードからも、ご本人のユニークさが窺える。

30年ほど前の話だがまったく色褪せず、物事について考えるヒントが詰まっている。ちなみに、その後に訪れた時のことも加えられていて、対比が興味深い。