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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

庭にたくさんの食べられる木の実があったらいいのにー白昼夢

今年の夏は猛暑が予想されていたのでそれなりに覚悟していたら、この夏は平年並みと 、10日ほど前に気象庁から修正がだされた。梅雨明けがまだの東京は、一昨日、昨日と、雨空の下で肌寒いくらいだ。

 

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中央 やや赤く色づいたリンゴ

 

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大きくなったリンゴ

ところで、散歩途中に気にしながら見ているリンゴは、少し赤く色づいてきたのもあるが、大半はまだ青い(みどり)ままだ。持ち主さんは、食べることには関心がないのかと思っていたら、2個だけ袋掛けがされていた。どうしてこの実を選んだのか、その基準は何なのか気になるところだ。

やや赤くなっている実のひとつは、気が早い小鳥が突っついたのかえぐれている。この実は、このままだめになってしまうのだろうか。それとも、小鳥が食べられるくらいには甘くなるのだろうか。こちらも気になる。

私は、実が成る木を眺めるのは好きだが、栽培に関しては皆目分からない。実家の庭で毎年楽しみにしていたのは、頼りなげな1本の富有柿だけだ。但しそれは、見た目以上に優れもので、特に手入れをせずとも、秋にはとっても甘い実が成った。その実を、小鳥が食べにきたのかどうかまでは、まったく記憶にない。

ごく小さい頃は、巴旦杏と呼んでいたかなり酸っぱい李もあったはずだが、その木はいつの間にかなくなっていた。誰も手を出さないその李は、枝ぶりが愛でられていたとも思えず、片隅にひっそりとあったのだが、どうして植えられていたのだろう。

近所の家のイチジクやミカンやアケビなどの方が、子ども心にはよほど羨ましかった。そういえば我が家には、夏ミカンもあったのを思い出した。それがまた口が曲がるほど酸っぱかった。

母の実家には、二階にまで届きそうなほど背の高いみかんの木があって、遊びに行くたび貰ってきた。しかし我が家では、どうしてそういう木を植えてくれなかったのだろうと、今にして思う。そのためか、私には、自分で木からもいで食べることに、今でも憧れが残っている。だから散歩のたび、他所のお宅の果樹が気になるのだ。

ガーデニングとか家庭菜園もしくはベランダ菜園といった土いじりには興味がないのだが、もし庭があったら、食べられる実が成る木を植えてみたい。リンゴやサクランボが大きくなるのを見ていられたら、毎日がさぞ楽しみだろうな。それとも、小鳥とにらめっこになってオチオチしていられないかな。

もし場所さえ許せば、クルミの木などもいいかもしれない。散歩で見かけたあちこちのお宅の木々(果樹)が、頭の中に浮かんでくる。森の中ではないので、それはそれで手入れが大変かな。いずれにせよ、何の苦労もなしに成果だけ求めるわけにはいかないかと、夢から醒める。