照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

自分のスタイルを掴んで維持し続けられるかは生き方次第

今年の夏は、白のスリム綿パン(ホワイトデニム)がとても目につく。先日など、電車で目の前に並んで座った3人が、偶然とはいえまるでユニフォームの如く、丈も裾の折り方もほぼ同じで驚いた。そのうち2人は、年恰好こそ違うが、トップスも似通っていた。もちろん皆さん、お知り合いではなく、たまたま乗り合わせた方々だ。

だがこれは、昨年から大人気のガウチョパンツよりは、誰にでも合うので見ていて安心だ。ガウチョパンツは着こなしが難しく、着る人を選ぶ。余計な御世話だが、後ろから見ていると、これはちょっとという人が多かった。だいぶ昔に流行った時、あるいは似通ったデザインのパンツにも言えることだが、ヒップが強調され、さながらオムツを当てているように見えてしまうので、ものすごくカッコ悪い。

但し、自分に合ったデザインを素敵に着こなしている方も、中にはいらっしゃる。それを見て、では自分もと手を出してみたくなる。それが流行となるのだろう。

しかし皆さん、前姿はしっかりチェックするけれど、後ろからどう見えるかなんてあまり気にすることなく買ってしまいがちだ。でも服は、立ち止まったままの状態よりも、動きのある時どう見えるかを重視した方がいい。静止していた時オヤッと目に留まった服でも、動きが加わると残念に思えたりすることがよくある。

自分をいかに良く見せるか張り切ったつもりが、一段どころか二段も下がってしまったのでは、せっかくの努力も水の泡だ。

だが服ばかりは、失敗をしながら自分で試行錯誤するしかない。こういう風になりたいと憧れるスタイルがあれば、そっくりそのまま真似るのではなく、自分に合うように修正してみるといい。

ファッションには着る主体、つまり自分がそのまま現れてしまう。だから誰かを形だけ真似たところで、どこか違うと感じてしっくりこない。その違和感が、ちぐはぐな感じを漂わせて、結局自分のスタイルにはならない。 

スタイルといえば、先日図書館で、「伝説のミューズ25年ぶりの復活」という謳い文句に、その雑誌を手に取ってみた。センスの良い着こなしで定評のあったこの方は、復活というより、封じ込めた25年前をそのまま再現しただけなのだと、その写真を見ながら思った。

せっかくご自分のスタイルをお持ちだったのにと、少し残念な気もした。たった数枚の写真から判断するのは早計かもしれないが、歳月を経て豊かに蓄積された魅力が、どこにも感じられなかった。

とりわけ、海藻のように額から垂れかかる前髪が、何とも哀しい。結局、スタイルがあると見えたのは、単に雑誌の宣伝文句に踊らされていただけなのか。たとえかつてはあったにしても、維持し続けるのは難しいということか。だが、スタイルを掴むのも、それを維持し続けるのも、すべては自分の生き方次第だ。

エッ!お前なんかに言われたくない。誠にごもっともなご意見。でも自分のことなど、飛んでも跳ねてもどころか、梯子を持ってきても届かないほど高い所へ上げてあるので、悪しからず。