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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

オリンピック開会式で旗手に続いたのが役員の一団ってカッコ悪すぎだ

"上半身裸の旗手がいたり、女性選手ばかりが集団の先頭を占めたり。出場国のお国柄が出る入場行進だった。そんな中、104番目に登場した日本で、旗手の右代啓祐に続いたのは本部役員の一団。集団の先頭の年齢層がこれほど高かったのは、中国など数少なかった。"(朝日新聞デジタル版8/6日より)

という記事に、先週、NHKラジオ夕方の番組での、元オリンピック選手伊藤華英さんの話が思い出された。選手は同じ競技の選手との相部屋が普通だが、全く違う競技の選手と一緒の場合もあるという。

女性アナウンサーが、エッ?一人部屋じゃないんですかと驚いていたが、全く同感だ。初めて会った人と同じ部屋って聞いただけで、オリンピック選手には、タフどころかかなりの強靭さが要求されるんだとビックリした。

でも、どうして一人部屋にはできないのだろう。メダル獲得を、暗黙の至上命令の如く求められる割には、選手への待遇が悪いのではないかと、素人ながら考える。でも、ブラジルオリンピック開会式の記事に、この役員たちではなと納得する思いだ。

村上春樹さんの、2000年のシドニーオリンピック観戦記『シドニー!①コアラ純情篇』(文春文庫・2004年)で、開会式について、
"主催者側にはそういう競技者に対する思いやりがほとんどない。"(P・126)と書いていらっしゃる。意味するところは別だが、"競技者に対する思いやり"という点に於いては、日本の役員たちにもそっくりそのまま当てはまる気がする。

続いて、
"自分たちのかっこいい演出のことしか頭にない。こうなると「スポーツマンの祭典」ではない。国家と大型企業の目的が融合し結びついたところに成立したイヴェントなのだ。その原理は投下と回収である。スポーツはどちらかというと目的のための手段にすぎない。見ているうちにだんだん不快感が増してくる。"(P・126)
と、開会式が長すぎることにウンザリして、入場行進Dのデンマーク辺りで席を立ってしまわれる。

"スポーツはどちらかというと目的のための手段にすぎない"というのは、その後のオリンピックでも変わっていないのではないだろうか。

日本の場合もオリンピックをどのように捉えているか、役員たちが先頭というところにそれがよく表れている。まったくあなたたちなんて、「なんぼのもんじゃい」だ。(*ちなみに、「なんぼのもんじゃい」の使い方としては、これでいいでしょうか。ハウマッチもつける?)

ところで今回、水泳、重量挙げ、柔道でメダルを手にした選手の方々に心よりおめでとう!オリンピックの主役は、何といっても選手だ。やはり役員は、控えめな方がグンとカッコいい。