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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は自分なりの解釈が広がる本だ

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹文藝春秋・2013年)は、とてもよくできた物語だ。プロに対して失礼じゃないかとお叱りを受けそうだが、やはり、上手いなあとしか言葉が見つからない。

夏休みの社会科の課題である奉仕活動をきっかけに知りあった同じクラスの男女五人。彼らは、高校一年から大学二年の夏休みまでを、グループとして濃密な時間を過ごしていた。アカ(赤松)、アオ(青海)、シロ(白根)、クロ(黒埜)と名前に色を含む四人に混ざって、色のない自分も不可欠なピースとして、五角形に組み込まれていることを嬉しく誇らしく思う多崎つくる。

ところが、突然訳が分からないまま、四人からきっぱりと拒絶され、暗黒のような五ヶ月間を過ごすも、何とか生きのびる。それから16年、付き合い始めたばかりの木元沙羅から、彼らに会うことを勧められる。そして、心の奥底に封じ込めていた問題に向き合うため、つくるは「巡礼」にでる。

かつて、四人に比べ自分を空っぽの容器と感じていたつくるだが、その器はまさにつくる自身であって、つくるを容れ物として五角形は成り立っていたのだ。アカとアオは外面、シロとクロは内面を象徴している。

思春期にとりわけ大切に取り扱わなければならないのは、実体としての柚木(シロ)と恵理(クロ)ではなく、概念としてのシロとクロだ。シロとクロのどちらかへ傾斜しがちな思春期特有の危うい時期を、自分の中で統合できた時、灰田がつくるの前から消える。白と黒を合わせてできるハイイロは、自分の心を守る固い殻としての象徴だから、実体として存在してする必要はない。灰田の設定がとりわけ見事だ。

巡礼に出て間も無く、シロが、つくるにレイプされたと皆に訴えたのが、絶交の原因だったとわかって驚くつくる。そして、そのシロも数年前に非業の死を遂げていた。

"シロの精神はおそらく、そういう来るべきものの圧迫に耐えられなかったのだろう。・・・
おそらくは性的な抑制がもたらす緊張が、そこで少なからず意味を持ち始めていたに違いない。つくるはそう想像する。"(P・363)

"最も感受性の強い人間だったシロ"が、地元を離れたことで"最も弱いリンクになっていた"つくるを、突破口にしようとしてついた嘘の真意を考える。それは、"隙間なく、ぴたりと調和した深い幸福感がやがて失われることへの不安"と分かる。

"だからシロはつくるを背教者に仕立てる。・・・彼女は電車の非常停止装置を引くみたいに、渾身の力を込めてその弱いリンクを引きちぎったのだ。"(P・364)
つくるは、"深い傷を負いながら、ただ必死に自分を護ろうとしていた"ユズを赦すことができた。(P・363)

フィンランドで恵理(クロ)に会い、柚木(シロ)のことを更に詳しく聞き、既にいないシロの心にも分け入ってみる。シロを守るのに必死な恵理の、辛かった日々の思いにも寄り添い、つくるは巡礼を終える。

"「あの素敵な時代が過ぎ去って、・・・いろんな美しい可能性が、時の流れに吸い込まれて消えてしまったことが」"不思議と言う恵理に、その場でつくるは、"「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ」"という言葉を、伝えることはできなかった。

ところで沙羅は、巡礼者を照らす光だ。沙羅とつくるの今後が、ベールに包まれたままなのはなぜかと考えていたが、足下を照らし導く者と分かれば、実体は重要ではない。

自分のことを話すまでに三日の猶予をくれと言った沙羅は、その間に象徴としての沙羅から、実体としての沙羅に戻るのだろう。沙羅を失ったら自分は・・・と思いつめるつくるだが、多分、結果がどうであれ、駅に関わっている限りこれからもちゃんと生きられるに違いない。だから作者は、敢えてはっきりさせないままにしておくのだ。(と思う)あるいは次の扉への暗示か。

とにかく面白い本だ。灰田と沙羅にも、更に新たな自分なりの解釈が広がる。分量も、読むのにちょうど良い。ぜひどうぞ。