照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

曲に導かれて物語の世界をふたたび楽しむ

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹文藝春秋・2013年)では、音楽もキーポイントだ。曲に導かれるようにして、読み手もいつの間にかその世界に入り込んでしまう。気づけば、そこは既に映画のワンシーン。灰田文紹(フミアキ)が持ってきたレコードを聴く場面が映し出される。

"冒頭に単音で弾かれるゆっくりとした印象的なテーマ"と共に、部屋の中の様子、カップや時計やレコードジャケットといった小物(があるかどうか、あくまでも想像)などがクローズアップされ、つくると灰田の位置関係も、鮮やかに浮かび上がってくる。

"・・・静かな哀切に満ちた音楽だ。冒頭に単音で弾かれるゆっくりとした印象的なテーマ。
・・・
フランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』です。『巡礼の年』という曲集に第一年、スイスの巻に入っています」
・・・
「Le Mal du Pays フランス語です。一般的にはホームシックとかメランコリーといった意味で使われますが、もっと詳しく言えば、『田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ』。正確に翻訳するのはむずかしい言葉です」"(P・62)

そして、"内側に独特の深みがこめられている"この曲を"正しく美しく弾けるのは多くはいない"と灰田は続けて二人のピアニストの名をあげる。

"「ラザール・ベルマン。ロシアのピアニストで、繊細な心象風景を描くみたいにリストを弾きます。・・・
古いところではクラウディオ・アウラくらいかな」"

テーマ曲として全編に流れる『ル・マル・デュ・ペイ』、だが実際は映画ではなく本なので、曲は流れない。そのため、「シロがよく弾いていた曲」と、つくるに言わせることで時々読者に思い出させる。(ほらほら、レコード止まっていますよ)とでも言うように。すると再び、読み手の頭の中に曲が流れるという仕掛けだ。

「ラザール・ベルマン」の弾くリストの『ル・マル・デュ・ペイ』をYouTubeで聴いてみた。なるほど、"『田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ』"とはこういうことなのか。少しわかったつもりになる。

何度か聴いてから、そういえばと、ついでにYouTubeで、『1Q84』に出てくるヤナーチェクの『シンフォニエッタ』を聴いてみる。物語そのものは私には馴染めなかったが、天吾や青豆を思い出す。

音楽についての記述を追うという読み方もあるなと、ふと浮かぶ。どんな場面で、どのように使われているか。物語に飽きちゃったら、しばらく気をそらしてみるのも良い案だ。僅かに横道へ行ったからって、そのうちまた本筋に戻ってこられるはずだ。どの本でも、音楽は重要なテーマのひとつなのだから、どのみち否応なく引っ張られる。

読み終えた後も、ピアノの調べに乗ってふたたび物語の中へ入ってゆくと、さまざまな情景が、それぞれの心模様が浮かんでくる。まさに、「一粒で二度美味しい」(グリコのCM)だ。本を読むって本当に楽しい。