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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

小説家は作品に自分のすべてを注ぎこむと改めて感じさせられた本ー『夏の闇』


『夏の闇』を読み終えると、底知れぬ虚無感にくらくらしてきた。若い頃読んだ時は、正直よく分からなかった。でも今回読み直して、意図するところが朧げながらではあるが見えてきた。

柿の種とチャプスイが好物の女と、虚無感を抱え怠惰に身を沈める男が、汗ばむ部屋で、ひたすら飲んで食べて、お互いを貪り合う。男が暮らす街はバカンスの時期で、
"・・・都は広大な墓地か空谷にそっくりのからっぽさだった。毎日、朝から雨が降り、古綿のような空がひくくたれさがり、熱や輝き激しいどこにもない。"

さらにどぎつく臭ってくるような描写が続き、ストーリーらしきものもなく、これは観念的な小説なのかと、かつて読み難く感じたことが蘇る。

"・・われなんじの行為を知る、
なんじは冷かにもあらず熱きに
もあらず、われはむしろなんじ
が冷かならんか、熱からんかを
願う。
『黙示録』"  

ページを開くとこの言葉がある。
そして、

"その頃も旅をしていた。"で始まり、
"明日の朝、十時だ。"で終わる。

他者からは計り知れぬほどの虚無感に囚われた男が、"足しにもならぬ内省"やら何やらを今や単なる容れ物と化した身体にごったに詰め込み、日々を何とか"うっちゃる"ことでようやく自己を保っている。が、たまたま女が読んでくれた新聞記事で、"熱からん"になろうと決意を固める。

その助走が、山の湖へのパイク釣り行だ。ムアッーとする重苦しい空気から一転、生き生きとした高原の風景が広がってくる。

男が住むパリと思しき安宿から女の暮らす街へ移って、女が研究論文を仕上げる間も男は、身を持て余しひたすら寝ている。自分が、ますます袋になったように感じるだけだ。ある晩女が、自分の来し方を思って泣き続けている時、男はそれまでにないほどの荒涼に襲われ、どこかへ行こうかとつぶやく。

釣り旅の後、ベルリンと思しき街に滞在しているのだが、女が何気に読みあげたヴェトナムについての小さな記事が、男の心を動かす。そこは、自分を虚無感に落とし込んだ場所でもあるのに、虚無から抜け出すためには恐怖を超えてそこへ行くしかない。行ってどうなるかは男にも分からないが、安穏に留まりたい誘惑を押して、行くと決める。そして出発は、"明日の朝、十時だ"

他の作品に比べると消化に時間がかかるが、これには、それまでの開高健が全部詰まっている。食べて飲んで寝ている合間の会話や思考から立ち上ってくる真意を、私がどれほど汲み取れたかはわからない。それでも、ページを追いながら深い闇の中を彷徨っているうちに、不意に光が見えたりする。

ところで印象的な描写を、

"やがて夜が・・優しい冷酷さで空にみちてしまうのだが、そうなるまえにほんのわずかのあいだ、澄明だが激しい赤と紫に輝く菫色の充満するときがある。ほんの一瞬か、ニ瞬。気づいて凝視にかかるともう消えている。きびしい、しらちゃけた、つらい一日はこのためにあったのかと思いたくなるような瞬間である。"(P・97・上下段)

誰もが心にこのような瞬間を持っているからこそ、辛さに押しひしがれそうになった時でも、踏み堪えられるのだと思う。

(『開高健全作品 小説9』・新潮社・1974年・P・71~223に収録)