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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

ちょっとしたところにユーモアが顔を出す

開高健の『来れり、去れり』に、夜更けに見知らぬ客が来るので玄関の鍵を開けておくよう妻に話す場面がある。

"、たちまちおびえて、ぼんやりとなってしまった。
「暗躍する秘密結社やろか?」
どうにも用語が古すぎる。大学へいって多系物理学と原子科学を専攻したにしては手のつけられない古風さである。
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いつかは安岡章太郎が偽電話をかけ、鼻をつまんで、もしもしこちらは特高警察の者(モン)だがといったとたんに彼女は電話口にしゃがんで口にきけなくなってしまったことがある。"
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『サーカス団』といって、『曲馬団』といわなかったところにかろうじて近代があった。"
(P・9~10)(『開高健全作品 小説9』新潮社・1974年)

単に導入部であって、ストーリーに絡むわけではないが、"どうにも用語が古すぎる"とか、"かろうじて近代があった"とかの表現が何ともユーモラスだ。おまけに、安岡章太郎まで登場する。

安岡章太郎遠藤周作、ご両人のイタズラ電話合戦は、安岡章太郎の著書でたっぷり笑わせてもらったが、ここにも出てきたかとおかしさが蘇る。

電話といえばご自身、「あわれな開高ですが・・・」とかけてきたそうだ。そんな調子である時丸山真男さんのお宅にかけると、電話に出られた奥様が笑いながら奥に引っ込み、代わって、「もっとあわれな丸山ですが」と当人が出られ、"これはちょっとオメン一本やり返されたね"ということだ。

今の時代、用件は何でもeメール等文字でのやり取りが主流で、電話すること自体少なくなっている。だいたい、固定電話を知らない新入社員が話題になったのも、この春先ではなかったか。例え電話したとしても、悪ふざけたりしようものなら、シャレにもならず用心されてガチャリに違いない。

年表によると、これが書かれたのは東大安田講堂事件の前年だ。その頃は、今に比べると段違いにのどかだったのかもしれない。だが、時代の如何によらず、ユーモア感覚は大事だ。

確か、笑いの精神こそが、いつの時代も権力に対する唯一の抵抗手段とお書きになっていたような気もするが、もしくは誰かの言葉の引用だったか定かではないが、そのためにも、日頃から笑いの鍛錬を重ねておられたのかなと深読みしてしまう。実際ご本人は相当のジョーク好きだったようで、それは本にもしばしば出てくる。

ところで今の時代、イタズラ電話はエイプリルフールだけにしておいたほうが賢明だ。