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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

100歳を超えて尚元気に過ごしている方々は後に続く者にとって希望だ

危機管理・健康

夕方のラジオ(9/13)で、厚生労働省のホームページに紹介されている全国の元気な100歳以上の方々を取り上げていた。静岡に住む女性は針に糸を通す時、眼鏡を必要としないそうだ。100歳過ぎても、縫い物という細かい仕事をすること自体驚きだが、それ以上に裸眼で針穴に糸を通せるって凄いなあとびっくりしてしまう。

ちなみに私も少し調べてみると、医者に行くのはインフルエンザの予防接種の時だけとか、杖も使わずに散歩するとか、昔ながらのソロバン片手に毎日店に出ているとか、幼稚園の園長先生とか、今尚現役そのものだ。この方々のような生き方を目指すならば、長生きにも希望が持てる。

特養入所待ち(いわゆる待機老人)が数十万人とか、認知症予備軍がどのくらいとか、それに付随する介護問題のニュースに接するたび、個人の努力だけではどれも避けられないことなのかなと、暗い気持ちになったりした。だが、元気な長寿の方々を研究して、それを自分でも取り入れれば老後も怖くないと力が湧いてくる。

殊に、針穴に糸を通せるというのはかなりの励みになる。以前、友人が50代前半の頃、目でも足でもどこでも調子が悪くて医者へ行くと、何でも老化で片づけられちゃうのよねと言っていたので、そういうものかと私も諦め気味であった。しかし少数とはいえ、100歳で杖も眼鏡も不要な人もいるというのは朗報だ。

膨れ上がり続ける医療費だって、皆が若いうちから健康に留意していれば、だいぶ抑えられるのではないだろうか。医者へ行くのは、インフルエンザの予防接種の時のみという方もいるのだから、誰も彼も歳をとったら病気になるというものでもないとわかる。絶対とまでは言い切れないが、日頃からの個人の努力が将来の健康を大きく左右するのは間違いないだろう。

どうなるか分からない先のことより、今がよければいいとばかりに暴飲暴食などで身体を痛め続け、いざ病気になって苦しむのは本人だ。私自身、健康を意識しだしたのは、年下の従妹の入院がきっかけであった。おかげでそれ以後は、それ以前の不調をすっかり返上、今は健康そのものだ。

といっても、特別なことはしていない。朝の水シャワーに歩くこと、身体の冷えと食べ過ぎに気をつけるといった簡単なことを、日常の習慣にしているだけだ。だからあえて、病気にはならないとの覚悟で、私の家計費に、年2回の歯のクリーニング以外医療費は計上していない。

この状態を、生きている間どうにか維持してゆきたいと願っている。姥捨山を、自分にも子たちの頭にもちらつかせずに生を全うしたいものだと、敬老の日の話題が溢れる中で改めて思う。