照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

「五輪会場見直し 森氏がけん制」というニュースの見出しに、エッ?と思う

「五輪会場見直し 森氏がけん制」というニュースの見出しに、エッ?と思い読んでみた。

"森会長は29日、東京都の都政改革本部調査チームによる3会場の計画見直し案について、「知事の判断を待ち、考えを伺ってからわれわれの考えを言う。都は本当にやるのか。それでもやるというなら大変なことだ」とけん制した。
 都の調整チームの案は、新規に整備するボートとカヌー、水泳、バレーボールの恒久施設を経費削減のため既存施設に変更するというもの。森会長は「会場はそれなりの理由があって決まった。日本側からひっくり返すことは極めて難しい。(変更には)競技団体の了解がまず必要で、国際オリンピック委員会IOC)は競技団体が了解しない限り受け入れてくれない」と話した。"(9/29付時事通信)
ということだ。

"会場はそれなりの理由があって決まった"というが、水上競技に適さない場所に、当初の予定の7倍のお金をかけて建設し、それも本体のみで、橋等の費用は含まれていないそうだ。そればかりか、施設のその後の活用も危ぶまれるというのに、維持費にはお金がかかる。都民としては、今更そんなこと言っても遅いよと言われようが、なんだか腑に落ちない。

東京五輪パラリンピック組織委員会の会長として、むしろ東京都の経費削減案に協力する姿勢を示して頂けたらと思う。"(変更には)競技団体の了解がまず必要で"とおっしゃるなら、自ら率先して了解を取り付けるよう動いて頂けないものか。

そうするどころか、一旦決まったものを変更するとは何事だと、拳を振り上げるが如く牽制する裏には、何かよほどの事情があるのだろうか。まさか、予定変更で慌てふためく者たちから突き上げられている、なんてこともないだろうし・・・。

先週ラジオで、それは東京五輪とはまったく別の話であったが、その放送局の記者の方が、「日本では、何でも一度決まってしまうと、止められなくなるというおかしなことがずっと続いている」というようなことをおっしゃっていたが、さまざまな場面においてまったくその通りだなと思う。これを機に、そのような悪しき慣習は改めてもらいたいものだ。

それにしても、今のままでは、大会開催費の総額が3兆円を超えると試算されたというのに、なぜ、見直し案に反対するのだろう。やはり不可解な思いが残る。

ある方が、ギリシャ(アテネ五輪)の二の舞にもなりかねないと指摘していたが、オリンピック終了後も、その負担を延々と背負い続けるのはゴメンだ。