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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

日々の暮らしに疲れを感じた時はこの詩をー「小さな娘が思ったこと」

カフェで、耳に飛び込んできたママさんたちの会話に、だいぶお疲れかなと感じることがある。もしくは、理不尽に子を叱りつける声にハッとしたりもする。そんな時不意に、茨木のり子の、「小さな娘が思ったこと」という詩が浮かんでくる。

(ひとの奥さんの肩にかかる淡い靄のようなとても素敵な或るなにか)に、ずっと憧れていた小さな娘が、やがて自分が妻となり母となって、それが何であったかに気づく。

"小さな娘が思ったこと
ひとの奥さんの肩はなぜあんなに匂うのだろう
木犀みたいに
くちなしみたいに
ひとの奥さんの肩にかかる
あの淡い靄のようなものは
なんだろう?
小さな娘は自分もそれを欲しいと思った
どんなきれいな娘にもない
とても素敵な或るなにか…

小さな娘がおとなになって
妻になって母になって
ある日不意に気づいてしまう
ひとの奥さんの肩にふりつもる
あのやさしいものは
日々
ひとを愛してゆくための
  ただの疲労であったと

(「小さな娘が思ったこと」【茨木のり子詩集』・現代詩文庫)

今や、肩から"木犀みたいに/くちなしみたいに"良い匂いを漂わせている奥さんなんてめったにいない。多分、昔だってそれほど多くはいなかっただろう。実のところ、自分だってそのようにはなれなかった。だからこそ、ママさんたちの口から、夫や子へのきつい言葉が飛び出すたび、この詩を思い出す。

この詩をどのように解釈するか。"ひとの奥さんの肩にふりつもるあのやさしいもの"を、どう捉えるか。

"どんなきれいな娘にもない"ものが、いつしか自分の肩を覆って、芳しい匂いを放っているなんて素敵だと思えるか。 それとも、そんな寝言とんでもない、はっきりと目に見える対価じゃないとね、と切り捨ててしまうか。

いずれにせよ、日々の暮らしに疲れを感じた時こそ、立ち止まって、この詩をじっくり味わってほしい。肩から良い香りが立ち昇らないまでも、心の中に余裕が生まれ、笑顔が戻ってくるはずだ。そして、形には表れない大きな対価もあることに気づくだろう。