どうにかなるさと何もしない?それともできるだけのことはしておく?
先週日曜夜、たまたま聞いたラジオ番組が興味深かった。途中からだったので、どなたが話されているのかと思ったら、『嫌われる勇気』の著者岸見一郎さんであった。
実は私は、この本はおろか、アドラー心理学についても読んだことがなかったのだが、ご自分の経験に照らし合わせながらの話は面白く、なるほどそういう事かと納得することが多く、つい引き込まれていた。
なかでも、悲観主義、楽天主義と楽観主義の話が心に残った。悲観主義は、起こる可能性があること、もしくは目の前で起こったことに対して、やってもどうせうまくいかないだろうと考えて何もしない。楽天主義は、悪いことは起こらない、あるいは、もし何か起こってもきっとうまくいくだろうと考えて、何の対策も立てない。両者は、結局何もしないままなので変わらない。
だが楽観主義は、現実をそのまま受け止めて、何とかなるかどうか分からないけれど、自分が今できることをしてみようと考え、あれこれやってみる。その結果、うまくいくという。
だいぶ昔になるが、カード会社のコマーシャルで、そのカードのマスコットのカッパとタヌキと中井貴一さんがタクシーに乗って空港かどこかへ向かう場面があった。話の詳細は忘れてしまったが、忘れ物かなんかした中井貴一さんが、「何とかなるだろう」と言うと、マスコットのどちらかが、「どうにもなりませんよ」と冷静に答えていたのを思い出した。
この例に当てはめれば、中井貴一さんが楽天主義で、マスコットの動物が楽観主義ということになるのかもしれない。つまり、起こりうる悪いことをくい止める、もしくは最小限に留めるためには、何も手を打たずにいたのでは「どうにもならない」と見極め、その場で考え得ることを、とりあえず全てやってみるということだと思う。
今できることとは、ここでは忘れ物を取りに戻るということだが、マスコットが言いたいのは、何かをする時には、十分な準備を怠らないことが大事ということだと思う。何と言っても、備えあれば憂いなしだ。
もちろんアドラー心理学では、こんな単純なことではなくもっと深いことを指しているのだろうが、放送を聞きながら、ちょうど自分が考えていたこととも重なる部分があったので、より深く心に響いた。