照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

2016年ポルトガルの旅 檀一雄が暮らしたサンタ・クルスにて その2

海を眺めていると少し雨が降ってきたので、通りまで戻りカフェに入る。トイレをお借りしてから、ガラオン(グラスに入ったミルクコーヒー)とソーセージ入りパイを一個頂く。通りを歩いている人はあまりいないが、店内は地元の皆さんで一杯だ。

一息入れたところで、
"落日を
拾いに行かむ
海の果"
と刻まれた文学碑を見に行く。

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文学碑

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文学碑から窓あき岩方面(左側)を

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文学碑から右方面を

東の果ての日本から来て、西の果てのこの地で海を眺め、落日の美しさに見入っている一人の作家に思いを馳せる。『火宅の人』を執筆するに、まさに相応しい場所だ。

この本は若い頃に読んだが、妻ある人が他の女性に心奪われ、家庭はそのままで、共に暮らすということが、長いこと感情的に理解できなかった。だが、檀一雄とはまたちょっと異なるが、開高健の『夏の闇』を読み返した折、開高と親しくされていた方が書かれた本も併せて読み、それにはモデルとなった女性がいたことを知った。その時初めて、道徳的良し悪しは別にして、そのような関係にも納得できる思いがした。

ちなみに、『火宅の人』をこれから読まれる方は、妻側から書かれた沢木耕太郎の『檀』も合わせて読まれるといい。

ともあれ、高名な作家だろうと無名の誰彼であろうと、人のことに、それ以上とやかく思うことはない。ただ、檀一雄にとって、物語として完結させるには、心理的にも物理的にも、ある程度の距離(期間)が必要だったのかなと勝手に推測しながら、碑を、海を眺めていた。

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檀一雄が1970年から71年にかけて1年半住んだ家

せっかくだからというより、バスの時間まで間があるので、檀一雄が住んだという家も見に行くことにする。ツーリズモで、地図に印をつけてもらっていたので、呆気ないほど簡単に見つかる。かつて誰かが住んだ家とかにはほとんど興味がなかったのにと、我ながら可笑しいが、それでもちょっと嬉しい。

バス停に座っていると、トーレス・ヴェドラスからのバスがやってきた。折り返して来るのを待ち12時50分に乗車。滞在時間は僅か1時間半ほどだが、ちょうど良い頃合いだ。トーレス・ヴェドラスに着くと、当初予定していた1時20分発のバスに乗れた。

バスターミナルの窓口でリスボン行きの切符を買うとき、カンポ・グランデとセッテ・リオスのどちらかと聞かれたので、バスは両方へ向かう便があるのを知る。サンタ・クルスから来る道中、1時20分のバスに乗れるかどうか気を揉んだが、こんなに便が良いのなら、それほど心配する必要もなかった。

リスボンに向かっていると、激しい雨が降って来た。でも、バスがターミナルに到着する頃には、既に陽がさしていた。バスから降りて、メトロでサン・セバスティアンまで来てから、エル・コルテ・イングレス(デパート)の地下で、果物やサンドイッチ等の買い物を済ませホテルに戻る。