読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

もう一度立ちたい風景ー朝のモンサラーシュ

2016・11月ポルトガルの旅

f:id:teruhanomori:20161217143037j:image

朝のアルケヴァ湖 (再度掲載)

今回の旅で、モンサラーシュにはさほど期待していなかった。次男言うところの、「母ちゃんの旅はブランド思考だから、ただそこに行ったということだけが大事なんだろう」には、全くごもっともとしか返しようがない。

ところが旅を終えてみれば、あのモンサラーシュが一番思い出深い。正直、謳い文句のような「沈黙の音」には、今でもちっとも惹かれない。(実際、行く先々どこでも朝晩はひっそりと静まりかえっていて、物音はまったくしない。)

だが、朝日を受けたアルケヴァ湖の言いようのない美しさは、瞼に焼きついている。バス停で一人バスを待つ間、まるで景色を独り占めしたかのように、ただただ見惚れていた。こればかりは、滞在しないことには分からなかった。

そして、走るバスの中から葡萄畑に差す陽を眺めながら、旅していることの喜びが胸いっぱいに広がっていく。通学や通勤の人々がバスに乗り込む姿、何ということのない日常の朝の一コマに、人々の暮らしを想う。

そこにはベーコンやパンを差し出してくれる綿摘みの一家はいないけれど、私は、スタインベックの『朝食』に入り込んだかのような不思議な感覚を味わっていたのだと思う。城でもカテドラルでも、ましてや何たらかんたらという名所などからは程遠い、日々繰り広げられる朝の光景に、生きるってこういうことなんだと、私はただジーンときていた。

何だそれ、ちっとも分からないよ、との声があがりそうだが、これが私の旅なんだと思う。このようなちょっとしたことが、私の心を踊らせる。私にとっての旅とは、かつて何かで目にした風景をなぞることでもなければ、あまり人の知らない場所を訪れることでもない。自分とは異質と思える文化や地理的状況の中での、人々の暮らしを垣間見ることだ。

そして結局、人の本質は変わらないと分かる。人間っていいなと思う。旅にでなくても、そんなこと先刻ご承知さと言われそうだが、やはり、出なければ分からないこともある。

カステロブランコの駅に着き、バスターミナルへ翌々日のチケットを購入しに行った時、待合室には1組の老夫婦しかいなかった。私が入ってゆくと、興味深かそうに二人でこちらを見ていた。

購入したチケットをしまおうと、近くの椅子に荷物を置き、尚もこちらを見ている彼等に挨拶した。すると、顔一杯に笑顔を浮かべて挨拶を返してくれた。

近くの町から来て帰りのバスを待つのか、素朴だが、善良そうなその夫婦に、もうちょっと言葉をかけてみたい思いに駆られた。でも、「ボン ディア」以外知らない。まったくもって残念であった。このほんの僅かな出会いにも、堅実に暮らしてきたであろう二人の歴史を想い、人間っていいなと感じた。

バス車内でのちょっとした光景同様、このような些細なことが、私の中で、旅の思い出として蓄積されてゆく。そしてこのような経験が、次の旅に私を誘うのかもしれない。