自分がクロマニョン人の時代に暮らしていたらー今ごろ何してるかな
先頃出かけた「ラスコー展」で、壁画を見ながらクロマニョン人たちについて考えていたら、辻征夫の『春の問題』がフッと浮かんできた。果たして彼等に、日にちの概念や季節感などはあったのか。それとも単に、"(ただ要するにいまなのだと思って)"いたのだろうか。
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人類出現前の春もまた
春だったのだろうか
原始時代には ひとは
これが春だなんて知らずに
(ただ要するにいまなのだと思って)
・・・・・"
辻征夫『春の問題』より抜粋(『詩の心を読む』茨木のり子・岩波ジュニア新書9・P・23)
但し、後期旧石器時代のクロマニョン人と、(想像上の設定ではあるが)この詩に出てくる人とでは、暮らした時代が異なる。何しろクロマニョン人たちは、投槍器(とうそうき)という槍投げの補助具まで作り、しかもそこに精巧な彫刻を施しているのだ。"石斧や棍棒"で動物たちを追いかけるよりも、格段に収穫があったに違いない。もちろん、そのために道具も編み出されたわけだが。
"・・・・・
どだいおれに恐竜なんかが
殺せるわけがないじゃないか ちきしょう
などと原始語でつぶやき
石斧や 棍棒などにちらと眼をやり
膝をかかえてかんがえこむ
そんな男もいただろうか
・・・・・"(P・24)
それでも、クロマニョン人たちの中にも、"膝をかかえてかんがえこむ"人もいただろうかと、少し気になる。もしかすると、どうしようもなく狩が不得手な者もいたかもしれない。
するとその人たちは、絵が得意な人を中心にした一団に組み込まれて、トナカイの肉のお弁当を持って、日々洞窟へ通っていたのかな。絵は描けないけど、顔料(絵の具)作りなら俺に任せろとばかりに、張り切って調合していたかも。なんてことが、次々に湧きあがってくると、展覧会が更に楽しく感じられる。
実際、解明されていないことが多いほど、想像の余地がある。少々飛躍しようが、頭の中で想う分には自由だ。逆に、自分が2万年前に暮らしていたら、と考えてみるのも面白い。時にはこうして、年の瀬の慌しさから、ほんの僅か離れてみるのもいい。