照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

時には一枚の写真が語ってくれる言葉に耳を傾けてみる

春、シャガの花を目にするたび、"著莪(しゃが)は寂しき花なりき"という大木惇夫の詩の一節がセットのように浮かんでくる。若い頃、熊井明子さんのエッセイでこの詩を知ったのだが、確かに、シャガにはひっそりとした印象があって、群生していても地味な感じは拭えない。

ところが先日、写真集を開いていて、作家の足元に咲くシャガの華やかさに打たれた。それは、水上勉さんが木のそばに立っている白黒の写真で、下にはシャガの他にも草木がある。だが、中央に咲くシャガが、揃って歓喜の表情を上方に向けているように感じられ非常に印象深かった。

四月になってシャガを見るのが楽しみだ。"寂しき花"というよりは、実際の花に、あの華やかさが重なって見えてくるかもしれない。シャガへの印象を、ガラリと変えてくれた一枚であるが、撮り方でこうも違ってくることに、改めて撮り手を想う。

これは、『顔 美の巡礼ー柿沼和夫の肖像写真』(柿沼和夫・写真/谷川俊太郎・文・構成・TBSブリタニカ・2002年)という本で、主に作家や画家のポートレートだ。写真の横には、柿沼さんが書かれた撮影時のエピソードもあって、その様子を想像しながら写真を眺めていると、更に深くその人物像に入り込んでゆける気がする。

先日のhttp://teruhanomori.hatenablog.com/entry/2017/01/08/020604『ブタとおっちゃん』でも感じたことだが、写真には、撮られる側ばかりか、写す側の全てが反映されるのだなと改めて思う。

実は、この『ブタとおっちゃん』という写真集に感銘を受けて以来、図書館へ行ってはさまざまな写真集を広げている。そして、一枚の写真が語ってくれる言葉に、耳を傾けているのは楽しい。遅まきながら、写真の魅力に気づいた感じだ。

写真は雄弁だ。だが、口を開かせるのは難しいとしみじみ悟るなり。