照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

寒さって必要なの?

ここ直近では稀な大寒波といっても、最高気温がマイナスの地域からすれば、東京はずいぶん暖かい。私の部屋の場合、室温は早朝でも12度前後ある。朝、掃除のため窓を開け閉めした後でも、これまでのところ10度を下回ることはない。

そして太陽が昇るにつれ、室温も上昇し、暖房無しでも昼頃には19度から20度くらいになる。夏にはウンザリする太陽の光だが、この時期は本当に有り難みを感じる。但し、外気温が低いと、室温の下がり方も早いようだ。

外へ出ても北風さえ吹かなければ、今日は寒いぞと覚悟したほどでもなく、拍子抜けするくらいだ。でも池のそばを通りかかって氷が張っているのを見ると、やはり、朝は相当冷えたことが分かる。

そんな日の朝でも、スーツにマフラーだけで出勤する若い人もいて、寒さ耐性の違いをまざまざと感じさせられる。

ところで、ラジオから、寒さって必要なんでしょうかとの声が聞こえ、思わず私も、本当にねと頷きかけるが、いや待てよと思い直す。そしてあれこれ、寒さにまつわる格言などを、頭の引き出しを開けて探しはじめる。

幾つか上げたところで、ふと、きっと昔の人も、寒さを乗り切るためにいろいろ理屈をつけて、寒さがあればこそ的な言葉を掲げたのかなと思う。それは無論物理的な寒さだけでなく、心理的に重苦しいことを含め、その厳しさを、自分の糧へと転化しようとしたに違いない。寒さ的なことに意味を見いださなければ、押しつぶされそうな思いに負けてしまうと考えたのかもしれない。

人にとって、寒さが本当に必要かどうか私にはよく分からない。だが、もし必要というなら、それは、そこで生きて行かざるを得ない者の、一種の生活の知恵のようなものかなと思う。そして、寒さを比喩とした精神論こそ、究極の生き延びるための知恵に違いない。

な〜んて事を、頭の血流対策を目的として考えたみた。何しろ、ちょっと油断すると、窓からの陽射しに気持ち良くなった脳は、すぐに居眠りをはじめてしまう。そして、実は私の脳にこそ、寒さは必要だと今はっきり気づいた。脳に楽はさせておけない。しっかり働いてもらおうと決意するなり。そして、今朝も水シャワーで一日が始まる。