照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

50年、100年先を見通すなんてどだい無理な相談だー昔の写真集を見て思う

高度経済成長の少し前、ちょうど60年ほど前の写真集を見ていて、かつて日本はこんな感じだったのかと、今の日本からは想像もつかない東京や横浜の様子にややたじろいだ。

そこに写っているのは主に子どもたちで、ほとんどが遊ぶ姿なのだが、背に弟妹をおんぶしている子たちも結構いる。また、兄妹で夕食の支度を担っているのか、使ったまな板や包丁を路上で洗っている姿もある。地方ならいざ知らず、戦後10年余り経って尚、都市部でもこうであったかと、かなりのインパクトがあった。だが、土門拳の写真集『筑豊のこどもたち』は、さらなる衝撃であった。

そしてたまたま図書館で、『ついこの間あった昔』(林望著・弘文堂・H19年)という本を手に取り、「衝撃的写真」(P・92)に添えられている「5畳半のすまい」という写真に、また驚いてしまった。家族5人が、この一間で暮らしているのだ。

当時はまだ住宅難が解消されておらず、東京都の人口の2割位がこのような住環境であったというが、オリンピックの翌年でもまだこうだったんだと、深く感じ入った。

そう考えると、高度経済成長以降、幾度かの経済的停滞はあったものの、まるで日本中が金満家になったかのように、一億総中流などと喧伝されてきたが、それも結局はバブルが弾けるまでの間のことで、しかもごく僅かの期間だったと気づく。

多分、1970年代頃から、電化製品の普及で暮らしはどんどん快適になり、大方の人はそれまでとの比較から、豊かになったと勘違いしていただけで、実はそれほどでもなかったのかもしれない。

今はまた、一億総下流とか言われはじめているが、もともと、勘違いあるいは底上げの豊かさを享受できていた時期なんて、ほんの少しだったのだから、元に戻っただけだろう。ちなみにそこに写っている子どもたちは、今50代後半から70歳前後で、まさに下流と称される世代だ。

ところで、写真で50年前の日本を振り返っていると、当時から現在の日本を想像するなんて、到底できなかっただろうなと思える。そういえば何年か前、年金は100年安心の制度設計なんて言葉を聞いたが、その自信はどこからでたのかと今更ながら疑問に思う。

それとも、別にきちんとした未来図を描いているわけでも何でもなく、ただ泥縄式に、定年を70歳どころか、75歳、80歳と延々と伸ばしてゆき、かつ受給を遅らせれば、100年安心ということなのかなと勘ぐってしまう。だいたい、50年、100年先を見通すなんて、どだい無理な相談なのだ。

『ついこの間あった昔』に触発されて、いろいろと考えが飛んでしまった。しかし、50年後どころか、あと20年もしくは30年後は、一体どんな社会になっているのだろう。