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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

「いつか・・・する」の"いつか"なんて永遠に訪れない

このところ毎日、持ち物の処分に精を出していたが、ようやく一段落した。もともとは、部屋のリフォームが念頭にあってのことだったが、やっているうちに身仕舞いということも意識にのぼってくる。いつパッタリとこの世を離れても、残された物の処分にあまり人の手を煩わせたくない。アレっと肩透かしなほど、スッキリしてたらいいなと思う。

漠然とリフォームを考えた時、2、3週間のために引っ越しするのは面倒だなと思った。だが、クローゼットは直すつもりがない。ならば、そこに全て入れておけばいいのではと考え、入りきらない物は処分することにした。荷物がなければ、着替えだけを持ってビジネスホテルに滞在してもいい。

とはいえ、私の部屋のクローゼットは、一間の押入れよりも狭めのスペースしかない。ゆったり使っていた天袋を有効活用するにしても、台所用品の収納まで視野に入れているので、最低限必要な物以外は到底置けない。そのため、徹底的に持ち物の見直しをして、せっせと処分に励んでいたのだ。

ところで、「いつか・・・する」の"いつか"は、絶対訪れないと、今回改めて思った。台所の棚を整理しながら、15年間ただの一度も使うことがなかった品々に、そのことを確信した。置き場所にも困らないため、いつか使うだろうとただ置いていたが、無駄にスペースを使っていたに過ぎないと、実によく分かった。結局、"いつか"なんて永遠に来ないのだ。

これは、何にでも当てはまる。「いつか読む」、「いつか着る」、「いつか役に立つ」、「いつかやる」、・・・etc。"いつか"なんて単なる幻想に過ぎないのに、言い訳にしていつまでも放置するのでは、まったく無意味だ。

斯くいう私も、手元に置く本を10冊以内に絞り込む過程で、「いつか読むなら、今読めばいいんじゃない。図書館から本を借りてきている場合じゃないでしょう」と、次男から指摘されるまでは幻想に縋っていた。

誠に小憎らしい言葉ながら、確かにその通りだ。それに、もし私がこの世から旅立ったら、速攻で捨てられる本だと思うと、あっさり手放す気になった。それに自分の読書傾向を振り返れば、何度でも繰り返し読む本は折々に手が出るが、いつかもう一度読み返したいと漠然と考えている本にその機会はない。つまり、今やらないことは、かなり高い確率で出来ずじまいと、ようやく認めたのであった。

リフォームの見積書待ちで、着工日も決まっていないというのに既にガランとした部屋で、自分の暮らしに必要な物について、再度考えを巡らしている。クローゼットに詰め込んだ、あるいは詰め込み予定の物のうち、本当に必要な物はどれくらいだろう。これからはいっそう物を見える化して、常に精査してゆこうと考えている。