照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

自分の立てる音にもう少し敏感になろう

私はこのところ、図書館の閲覧席を利用することが多い。私が利用する奥の席は、書架を背に壁に面して座るので、とても静かで集中できる。聞こえるのは、サラサラとシャープペンなどの筆記具を走らせる音くらいだ。

そんな中で集中を妨げるのは、鼻水を啜り上げる大きな音だったり、席に着く際の乱暴な物音だ。ガッーと椅子を引き、ドサッ、ガサッとバッグを机の上に投げ出すように置き、ついでガサゴソと、本やノートや筆入れ他一式を、これまたいちいち大きな音を立てて並べる。

つい先日も、2、3席おいたところから相当乱暴な音がしたので、高校生くらいの男の人、もしくは若い女性だろうと検討つけていた。偏見のようだが、図書館に限らずさまざまな場所で、私はこの例に遭遇していて、結構な確率で当てはまる。

だが、ちょっと席を立つ時、横を見て驚いた。60代と思しき女性だったのだ。良し悪しは別に置くとして、この年代の女性はまだ、立ち居振る舞いは女性らしくと躾けられていたと思う。なのに、ドスンバタン的音の立て方に、女性らしさ(くどいようだが、この捉え方は横に置いておく)の問題以前に、公共の場での振る舞い方が、年配の人の間でも相当崩れてきているのかなと、改めて考えてしまった。

だから、その世代に育てられた子、そしてその子と、人への配慮など、まるで頓着しなくなってしまったのは当然かと思えた。どこでも我が家にいるかのように振舞い、公私のけじめがつかなくなっているのは、ここ最近の傾向どころか、もうだいぶ前から指摘されている。きっと、誰にも教えられたことがなく、まして自分では気づかず、何の疑問も抱かずにきてしまったのだろうなと思う。

そして、音に対する感じ方が、個々でずいぶん異なることが災いして、ひいては、住まいのトラブルに発展したりすることもあるに違いない。まあ、騒音問題に関しては、それだけが原因とは単純に言えないが。それでも、そんなことを招かないためにも、せめてもう少し、皆が、自分の立てる音に敏感になってくれたらいいのにと思う。