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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

アレレ?岡本太郎さん、五重塔についてこんなこと言ってたんだーちょっと反論

手放す前にもう一度読もうかと、『美の世界旅行』(岡本太郎新潮文庫)を旅先に持ってきた。それまであまり関心を持てなかった岡本太郎の世界に、グイグイ引き込まれる本だ。その世界観の中心を成している考え方、芸術や文化をどう捉えていたかが、本当によく分かる。

ところが、アレレ?こんな事言ってたんだ、と引っかかる箇所もある。それがたまたま、今回目の前にしている興福寺などの五重塔が、例としてあげられている。私が奈良を訪れるたび、その見事さに感心して見上げる塔だ。だが、岡本太郎は、

"法隆寺興福寺をはじめ、奈良に数々ある五重塔は、観光資源として人をひきつけているが、日本の伝統、その精髄のように思われている。・・・だがあれはまったく日本のものではない。実はネパール原産だ。・・・つまり、ただ保存がよかったというだけのこと。それなのに何であれを日本美の代表、誇りのように思い込んでいるのか。馬鹿馬鹿しい。"(P・50~51)

と切り捨てる。そして、本家ネパールではどうであるかを、

"ネパールには今でも生活の中になまなましく五重塔が建っている。それはまさに、奈良の五重塔の御先祖様だった。"
と言う。(*但し、旅行された1971年当時の状況)

この本全体に一貫として流れる主張に耳を傾けていると、その言わんとすることも分からないではない。が、それでもこの点はすんなりとは認め難い。

この本の解説者ヤマザキマリさんも、岡本太郎の意見に大いに共感されて、次のように述べている。

"ネパールの五重塔と日本の五重塔についての考察など、こういうことをはっきりと書いてくれる人がいた事に、私のような強い郷土愛を持つわけでもなく、自らのアイデンティティの曖昧な人間は、読みながらついホッとしてしまうのだった。"(P・283)

が、このご感想にもエッと言う思いが残る。

そしてこのお二人に、でもね・・・。"ただ保存がよかったというだけのこと。"とおっしゃるが、日本の気象条件を考えると、何の工夫も無いまま保存状態が良いなんて事、有り得ないでしょうと心の中で呟く。古の工人たちの知恵が、次の時代次の時代へと、時には手探りであったとしても、引き継がれてきたからこそ今に残っているのだ。

仏教伝来に伴い、建物でも彫刻でも、オリジナルは何でも大陸から渡ってきたのは確かだが、それを、この国の風土に合うよう工夫してきたのだ。形は同じでも、もはやそれは別モノである。仏像だって平安時代に入ると、ギリシアの面影を残した奈良初期の頃とはだいぶ異なっている。そこには、"御先祖様"を超えて、日本人独自の観点が加わっているのだから、伝統と呼ぶに相応しいと思う。

多分、岡本太郎さんは、民衆の暮らしから大きく隔たっておすまししたような姿に、激しく違和感を覚えたのではないかと推測するものの、やはり五重塔は美しいと、今、奈良に居て改めて思う。