照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

飛鳥を歩くー高松塚の壁画に感激

橿原神宮前駅から明日香村内周遊のかめバスに揺られ、まずは「石舞台」に向かった。6世紀後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかといわれているこの古墳は、想像していたよりずっと可愛らしかった。

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石舞台

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横から見た石舞台

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石舞台内部

ちょうど4ヶ月前にモンサント(ポルトガル)で、巨大な石を利用した家々を見てきたばかりなので、余計にそう感じたのかもしれない。だが、そこいらじゅうに巨石がゴロゴロしている岩山のモンサントと違い、これだけの石(花崗岩)を、実際ここまで運び、墓として組む苦労は大変なものであっただろうと思う。ちなみに、その方法が案内板に説明されているが、その知恵に感心するばかりだ。

次のバスを待つ間、駐車場横の農家レストランで食事をする。古代米カレーとシャキシャキした大根サラダのセットを頂く。どちらも美味しい。暖かな日曜日とあって人出も多く、店内は大賑わいだ。1階の土産物屋さんでは、古代米に唐揚げなどのついたお弁当も販売しているので、外で食べるのも良い。芝生で、持参のお弁当を広げている家族連れも多い。

再びかめバスに揺られ、のどかな田圃道をゆく。橘寺を眺め、天武・持統陵を過ぎると程なく高松塚のバス停だ。ここから古墳までは少し歩く。こちらでも家族連れがピクニックの最中だ。古墳の周囲をグルリと回ってから、高松塚壁画館へ行く。

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高松塚古墳

これほど見事に、描かれた当時のままに色が残っているなんて、と、ただ驚くばかりだ。もちろんここにあるのは、"原寸・原色で再現した壁画"で、本物ではない。それでも凄い。

すっかり感心し、次いでキトラ古墳まで足を伸ばすことにした。飛鳥駅行きのバスを待つよりはと、歩いて向かった。こちらキトラ古墳の周辺も、かなり広い範囲に渡って整備されていて、昔風の家なども再現されている。

この国営飛鳥歴史公園には、昨年9月オープンの「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」というとても立派な施設もあって、おまけに無料だ。

やはり、キトラにも来て良かったと、帰りは足取りも軽い。駅に向かいながら、再び右手に高松塚古墳を見る。両方ともごく近くにある。(但し、歩くと案外距離がある。)

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田圃の向こうに高松塚古墳 キトラからの帰り道

それにしても、どちらも保存状態も良いままに、よくぞ発見されたものだ。"地元の人が、墳丘の南斜面で作物貯蔵用の穴を掘った"のが発見のきっかけだそうだが、その偶然がなかったら、そのままひっそりと眠り続けていたのかと思うと、改めて感慨深い。

しかし、飛鳥京がなぜここに置かれたのか。持統天皇が、この地に勢力があった蘇我氏の血縁であったからとか、幾つかの説を読んでも、ずいぶん奥まった地に都をおいたものと、やはり不思議な感じは残る。私の中に、古代の都のイメージがどうにも湧いてこない。そしてまた、なぜ飛鳥にと最初の疑問に戻ってしまう。

それにしても、飛鳥は良いところだ。次回は、飛鳥駅から、キトラ古墳高松塚古墳だけを回るだけでもいいかなと思う。それとも、亀石や橘寺の方まで、もっとじっくり歩いたなら、何か感じることがあるかもしれない。また来よう。