照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

千四百年前の瓦がまだ現役ってすごいことだー元興寺

"法隆寺以前に焼かれ、屋根に乗っていた瓦が今も現役で働いています。"(『宮大工と歩く奈良の古寺』小川三夫・P・208)ということで、「行基瓦」を見に元興寺へ行ってみた。

"法隆寺をはじめ、千年を超える建物が残ってきた理由は、大工の技やヒノキの存在があるとは思いますが、私たちからすれば屋根を守ってきた瓦や瓦葺きの職人たちのおかげだと強く思いますな。
屋根は大事です。
どんなに丈夫に木を組んでも、屋根から染みこむ雨や湿気が溜まれば、建物は腐ります。そして崩壊します。木を割ったこけら屋根、杉や檜の皮で葺いた屋根では長い時間はもちませんでした。そこに朝鮮から瓦の技術がもたらされ、木造建築物の姿を変え、千年の命を持つ建物を支えてきたのです。"(P・206)

これまで古い時代の建物を見て回っても、全体の姿ばかりに感心し、瓦はおろか、木組みの工夫などへ思いが至ることはなかった。だが、教えられてみれば確かにそうだ。春先の菜種梅雨にはじまり、梅雨、台風、秋霖と、日本は雨が多い。所によっては雪も降る。瓦の役目は、まったく大きい。しかも、千四百年も前に焼かれた瓦が、今尚使用されているって驚きだ。

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左が禅室 屋根の右部分・色が違うところが行基

禅室の屋根を見上げれば、色が違うのですぐ分かる。"しっかり焼かれた瓦は千年以上持ちます。"(P・208)とサラリとおっしゃるが、千四百年の間、この瓦が、奈良の町を見下ろしてきたのかと思うと感慨ぶかい。南都焼討にも、よくぞ残ってくれたものと思う。何しろ、平重衡の兵は、当麻寺の方まで向かったそうだ。

次いで、五重塔の小塔を見る。
"高さが5メートルとあるから、このまま十倍すればちゃんと五重塔ができます。
地方に国分寺だとかなにか建てたときは、みんなこんな模型で指示したのかもしれませんね。"(P・209)

小塔といっても、5メートルとなるとなかなか大きく見事だ。"でも、プラモデルみたいに簡単じゃないんですよ。・・・道具も十分の1でつくらなくてはならないんです。"(P・210)と、時間も費用も相当かかるという。

それにしても、何から何まで、まったく昔の工人には圧倒されるばかりだ。そして、その時代、その時代の、工人たちの知恵と工夫があったればこそ、今日まで、文化財と呼ばれるさまざまな物が残ったのだと、改めて感慨深い。

ところで、元興寺は奈良町の中心ということだが、かつてこの辺りには、どのくらいの人々が暮らしていたのだろう。また、日々の生活はどんなふうであっただろうと、遠い時代に想いを馳せてみた。