照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

伐折羅大将の迫力を感じる新薬師寺

薬師寺まで、散歩がてら歩いて行く。先日、白毫寺へ行った折に寄ろうとも考えたが、時間はあるからと日を改めることにした。

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薬師寺 本堂

奈良町を抜けてしばらくゆくと、車で来る人のための案内板が大きく立っている。まだ1キロ先か、と思いながら尚も歩く。やがて突き当たりを右に曲がって坂を上ってゆくと、お寺に続く道は案外狭い。

"ひるから新薬師寺に行った。道がだんだん郊外の淋しい所へはいって行くと、石の多いでこぼこ道の左右に、破れかかった築泥(ついじ)が続いている。その上から盛んな若葉がのぞいているのなどを見ると、一層廃都らしいこころもちがする。"(『古寺巡礼』和辻哲郎岩波文庫・P・38)

これはおよそ100年前の記述で、現在は、もちろん道路も舗装されており、"淋しい"どころか住宅が続いている。が、この雰囲気は今に重なるような気がする。
続いて、

"この辺の切妻は、平の勾配が微妙で、よほど古風ないい味を持っているように思われる。三月堂の屋根の感じが、おぼろげながら、なおこの辺の民家の屋根に残っているのである。古代のいい建築は、そのまわりに、何かしら雰囲気といったようなものを持ちつづけて行くとみえる。
廃都らしい気分のますます濃くなって来る狭い道を、近くに麦畑の見えるあたりまで行ってわれわれはとある門の前に留まった。(P・38)

とある。
この新薬師寺に限らず、奈良で古寺への道を歩いていると、"古代のいい建築は、そのまわりに、何かしら雰囲気といったようなものを持ちつづけて行くとみえる。"まさにこの通りで、1世紀の隔たりを越え、かつての風景が浮かんでくるようにさえ思える。

ところで、新薬師寺には、十二神将のうち、切手にもなっている伐折羅大将がいる。怒髪天を突くそのままに髪の毛は逆立ち、ギロッと見開いた目と大きく開いた口は迫力満点だ。奈良時代からずっとお薬師様及びその信仰世界を護ってきたのだと思うと、お疲れ様とその労をねぎらってあげたい思いだ。

寺にはそれぞれ特色ある十二神将や四天王がいるので、それらを見比べるのもなかなか味わいがある。ちなみに、ここ新薬師寺波夷羅大将(奈良時代)は、興福寺国宝館の板彫十二神将立像のユーモラスな波夷羅大将(平安時代)とは雰囲気がだいぶ異なる。昨年、興福寺でこの像を見た時、どんな人が作ったのだろうと、そのユーモア感覚に結構強烈な印象を受けたことを思い出す。

奈良のお寺は、中心から少し離れると人もずいぶん少ない。そのぶん、落ち着いた静けさが漂う。現代は周辺に家も立ち並んでおり、"廃都"というほどの侘しさはなく、散策しながらじっくりと古都を楽しむにはぴったりだ。私が奈良に引き寄せられるのは、きっとこの雰囲気だと思う。