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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

"これは貴人の行楽の図である"ー高松塚壁画の松本清張氏考察になるほどと思う

『遊古疑考』(松本清張河出文庫・2007年)は、(新潮社・73・9を底本とする)とあるように、書かれたのは40年以上前だが、内容が非常に興味深い。

考古学及び古代史におけるさまざまな研究論文を丁寧に読み込み、場合によっては研究者に直接尋ねたりしたうえで推測をなさっているのだが、さもありなんと読みながらグイグイ引き込まれる。

殊に、高松塚壁画に関しては、多分その見方が妥当だろうなと思わせられる。

"檜前(檜隈)の地の特殊性"(P・368)から、
"高松塚の被葬者が誰かという比定は興味の深いことだが、よほどの確証がない限り、これはつつしまなければならない。・・・
軽率には確言できないが、わたしはこの高松塚は檜前に住むいわゆる帰化人集団によって築造され、被葬者もその系統の族長であろうと推定している。"(P・370)

とあって、それに対していろいろな角度からの、自分が根拠とした説などをあげておられる。

"高松塚壁画は、西壁と東壁とに男子群像と女子群像とが棺を置いた床を隔てて相対して描かれている。それが四角ばったお供の図ではなく、きわめて楽しい雰囲気の姿態である。文武朝の儀仗にふれた岸敏男もこれに葬儀規定にない持物があるのでさすがに「葬祭と結びつけるにはなお検討を要するので、ここはともかく威儀を示すという理解にとどめておこう」(前掲「壁画古墳高松塚」)と書かざるを得ない。当然で、これは貴人の行楽図である。"(P・374〜5)

続けて、
"墳墓の壁画といえば何でも葬祭儀礼や黄泉の世界や呪術性に解さなければ承知できない一部学者のかたくな理解は困ったものである。そんな暗さは壁画のどこにもない。"(P・375)
と、苦言を呈しておられる。

先入観に基づく見方を戒める言葉は他にも出てくるが、まったくその通りだと思う。素人からすれば、どこをどうやったらそんな結びつきが考えられるのかとびっくりする例もある。でも、"かたくな"に思い込んでしまったら、それに添うような解釈に突き進んでしまうのだろうなと思う。

そして、古代史や考古学の学問的知識のない私からすれば、もっと単純に考えた方が、解決への糸口が見つかりそうなものなのにとも思う。それほど容易いことではないんだよと一喝されるかな。せめて、もう少し知識もつけて、古代の世界を垣間見たいものと思う。

遠い時代の事は、解明されていないことが多い分、あれこれ想像を働かせる余地があるので楽しい。本を読んでいると、謎解きをしているような面白さがあって、自分もその一員に加わっている気にさせられる。