照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

心が疲れた時は好きな音楽を流してボーッとする

身体はまったく正直だ。自分では、ほんのちょっと気掛かりくらいに思っていた事が、翌朝唇の端にヘルペスができていて、実は、頭で感じる以上にストレスになっていたと分かる。私の場合、免疫力の低下を招くのはほぼストレスによる。

こんなことは何でもないんだと、自分の気持ちを宥められたと思っていたけれど、ちゃんと身体に出る。そんな些細な積み重ねを見過ごしていると、容量一杯になったある時点で、溢れ出てしまうんだろうなと思う。慌てて掻い出したからといって、多少の隙間ができたくらいでは、ひとたび堰を切ったように流れ出した諸々は落ち着くものではない。

そうなる前に、身体がいつもとは少し違うと感じたなら、自分の感情に向き合ってみるしかない。但し、心を深掘りしたり、むやみに自分を可哀想がったりはしない。ただ、(疲れたんだね)と自分を労り、好きな飲み物を用意して、好きな音楽を流して、しばらく何も考えずにボーッとする。眠くなったら寝てしまえばいい。

やがて心が回復すると、身体もだいぶ元気になって、気持ちもグンと上向く。すると今度は、無理に気持ちを抑え込まなくても自然と、(こんなこと、まあいいか)と思えてくる。いっときはキュッと心を狭めていた事が、まったく大したことではなかったとよく分かる。

そこまで行ったら、もう大丈夫だ。人には、適度なストレスも必要と言うしねと、ストレスさえも軽く扱えるようになる。だいたい私は、いつだってこの繰り返しだ。「杞憂」の由来そのままに、今すぐにでも天が崩れ落ちてきたらどうしよう的に、いささか大袈裟に心を痛めては、(何てことないや)と、瞬く間にケロリとしている。

でも、そんな能天気な私でも、身体が反応した時はやはり気をつける。匙加減がポイントながら、自分を甘やかしてみる。しかし、息抜きは必要だが、もちろん息抜きばっかりでもダメで、そんな時にもちゃんと身体が信号を送ってくる。人間は、ややこしい。それでも、なんとかバランスを取りながらやるよりしょうがないね。

とまあ、纏まらないままにお終い。このくらいのテキトーさが、気楽に生きられる秘訣かもしれない。