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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

天平時代の女性に想いを巡らせるー光明皇后の容姿に俄然興味を覚えて

『奈良の都』での、光明皇后についての記述が、私にはとても新鮮であった。『古寺巡礼』(和辻哲郎)では、カラ風呂での光明皇后施浴の伝説及び法華寺の本尊十一面観音のモデルと言われていることについての考察にページを割いている。その文章からの印象か、何となく、お綺麗な方であったのだろうと思い込んでいた。

だが、"「光明子の人となり」"には、

"聖武天皇の人柄については一言もふれていない『続日本紀』も、光明皇后については、「幼にして聡慧(そうけい)、早(つと)に声誉(せいよ)を播(ほどこ)せり」とか、・・・、あるいは「仁慈にして、志、物を救うにあり」と記している。聡慧、つまり頭がいいとはいっているが、美人だとは一言もいっていない。美人だったという伝説は、法華寺に縁が深く、じじつ美人だった嵯峨天皇の妻の檀林皇后と混同されて生まれたのだろう。法華寺の十一面観音像も檀林皇后と同時代の作品である。"(『日本の歴史3 ー奈良の都』(青木和夫・中公文庫・1973年・P・325)

とあるではないか。本の中で、この時代の他の女性に対しては容姿について言及していないのに、光明皇后に関しては、"美人だとは一言もいっていない"と強調している。

アララ、そうだったのという感じだ。もっとも、当時の美人像を思い浮かべるたび、現代に生きる私の感覚からすれば、美の基準にかなり疑問が残る。だから、美人かそうでないかは大差ないような気もする。

だが、当時のように、1日2食、しかも、量も十分ではない粗末な食事では、全般的に男女共に痩せていたに違いない。そんな中で、ふっくらとしているというのは、やはり美の要素だったのかもしれない。身体に栄養がいき渡っていれば、鳥毛立女屏風に描かれた女性のように、髪も(多分)黒々として豊かなはずだ。

しかし、実際、光明皇后はどのようであったのか。"天平の時代の代表的婦人の肖像を持たないことはわれわれの不幸である。そのためにわれわれは天平の女に対して極端に同情のない観察と著しく理想化の加わった観察との間を彷徨しなければならぬ。"(『古寺巡礼』・青空文庫版より)

まさにこの言葉通り、頭の中であれこれその姿を思い巡らせてしまう。私の場合、"極端に同情のない観察"よりは、"聡慧"からの連想で、知的な美しさを感じさせる方であったかもしれないと、やや"理想化の加わった観察"へと傾く。

そして、これまでさほど関心が向かなかった当時の女性の容姿についても、俄然興味が湧いてくる。タイムマシンで、奈良にひとっ飛びできたら面白いのに。でも、物凄くびっくりするだろうな。やはり、空想しているくらいが楽しいのかもしれない。