照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

あひるのジマイマかい?〜イエイエ、ただのアヒルですよ。クワッ!クワッ!

エヴォラの旧市街を囲む城壁に沿ってしばらく歩いてから、再び中に入ろうと坂道を上って行くと公園の側に来た。サン・フランシコ教会のすぐ先にある公園だ。以前、ここで放し飼いの孔雀を見たのを思い出し、(また孔雀いるといいな)と期待して、公園内のカフェで一休みすることにした。

 

孔雀には会えなかったが、アヒルがいた。金網で囲われた小さな池の回りを歩いているのだが、内股でペタペタとゆっくり進む。時々立ち止まって、どこか遠くの方を眺めている。何を見ているのだろうと気になるほど、ずっと見続けている。そしていきなり、クワッと鳴く。金網の間近のテーブルには、高校生くらいの男子数人が座っていたが、誰もアヒルの呼びかけに応じない。

 

するとアヒルが、「アンタだよアンタ!」と言うように、今度は、クワッ、クワッと2回鳴く。その声に、自分が呼ばれたのかと振り返った男の子が、足元に落ちていた枯れかかったプラタナスの葉を拾って、金網越しにアヒルの方へ差し出す。アヒルは、その葉っぱにほんのちょっと興味を示しただけで、すぐに、フンっといった感じで知らんぷりだ。

 

男の子だって、さほどアヒルに関心はないようで、無視された葉っぱをそこに置くと、仲間の方に向き直ってしまった。すると今度はアヒルが、その葉を金網の下から引き寄せ、突ついたりしながら好みに合うかどうか確認している。でもやっぱり、お気に召さなかったようだ。囲いの内側に植わっているササの葉のような物を、噛み始めた。

 

だが、やがて向きを変えてペタペタと2、3歩進むと、立ち止まって前方に目をやったまま、しばらくじっとしている。まったく、何を見ているのだろうと、またもや気になる。誰か知り合いでも見つけたのかなと思っていると、またクワッ、クワッとやる。今度は、誰も応える人はいない。

 

しかし、このアヒルが、"よそゆきのショールをかけボンネットをかぶ"ったなら、まるで『あひるのジマイマのおはなし』(ビアトリクス・ポター作『ピーター・ラビットの絵本11』)にでてくるジマイマみたいだ。もしかして、ジマイマの子孫かもしれない。卵を抱くのが下手だったジマイマだけれど、卵の幾つかはちゃんとヒナにかえっているのだから、子孫がいても不思議ではない。但し、絵本の中のことだけどね。

 

それにしてもジマイマ、自分が料理されるのも知らずに野菜やら香辛料やら持って行くなんて、犬がキツネの悪だくみに気づいてくれなかったら、子孫どころじゃなかったよ。このあたり、『注文の多い料理店』(宮沢賢治)の2人の紳士を彷彿とさせる。

 

先史時代の遺物などにも感じることだけど、人間の発想は、やはりどこかしら似通っている。だから古今東西で、類似性のある昔話が生まれるわけだと妙に納得。

 

ところで、この公園には銅像があって、坂下の駐車場から来たと思しきツアーの一団が、どのグループも必ず立ち止まってガイドさんから説明を受けている。その後で皆さん、その像を熱心に写真に収めている。あれは何でしょうと、アヒルばかりかこちらも気になるが、ガイドブックには載っていない。

 

何だかわからないが、後で調べることにして一応写しておいた。するとビックリ!何とヴァスコ・ダ・ガマであった。しかも回りの木は、胡椒木(コショウボク)といって、記念に植えられているという。(*自分の愚かさに呆れるが、ここに載せる前にその写真を消去してしまったため残念ながらお見せできない)

 

いわゆるブラックペッパーとして知られている蔓性のコショウとは異なるが、その実はピンクペッパーといって、胡椒と同様に使われるそうだ。こちらは、南アメリカが原産だ。実際、ヴァスコ・ダ・ガマがインドから持ち帰ったのはブラックペッパーだが、こちらの方は、気候的にポルトガルでは育たないので、代わりに胡椒木が記念に植えられているのかなと推測する。

 

ところで、なぜエヴォラにヴァスコ・ダ・ガマと思ったが、ここに数年暮らしていたとのことだ。ヘェ~!知らなかったよ、と3度目の訪問にして初めて知る事実(と言うほど 大げさな事でもないが)に、どこでも、一度行ったらその地を知った気になるのはアブナイねと改めて感じる。

 

何しろ、ヴァスコ・ダ・ガマといったら、テージョ川に架かる長い橋にもその名がつけられているし、ジェロニモ修道院横のサンタ・マリア教会には、ポルトガル最大の詩人ルイス・デ・カモンイスと一緒にその棺が置かれている人だ。

 

ウイキペディアによると、"ジェロニモ修道院は、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓及び、エンリケ航海王子の偉業を称え、1502年にマヌエル1世によって着工され、・・・その建築資金は、最初ヴァスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われた。"とある。

 

つまり、ポルトガル黄金時代の幕開けに貢献した重要人物だ。その人が暮らしたともなれば、ガイドブックのエヴォラの案内には、ぜひとも胡椒木と共に紹介して頂きたかった。この航路が開拓(1489年)されていなければ、その後(1584年)天正遣欧少年使節がエヴォラを訪問することもなかっただろう。

 

ともあれ、エヴォラに寄って良かった。訪れる時期が異なれば、見えてくる景色も違う。それ以上に自分の関心も変わってくる。だから、いつだって初めての感覚だ。まこと、旅は奥が深い。

 

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お慰みに孔雀の写真をどうぞ(2015年12月撮影)