照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

若桑みどり描く天正遣欧使節の4人の少年たち

図書館で、『ローマ人の物語』さあ次はどれを借りようかと書架を眺めていて、ふいと横に目をやると、若桑みどりの名が目に入った。どんな本だろうとタイトルを見れば、『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国(上・下)』(若桑みどり著・集英社文庫・2008年)とある。

 

あの少年たちか、これは面白そうとページを繰れば、目次に続いて、「世界を行く天正少年使節」とあって、日本からリスボンリスボンからローマを往復した順路が書かれていた。

 

ローマからの帰路は、ジェノヴァから船でバルセロナに着いた後、モンセラート、サラゴサマドリードとある。ここからは、立ち寄り先は多少異なるが、来た時とほぼ同じ順路でリスボンまで戻っている。ちなみに往路は、リスボン、エヴォラ、ヴィラ・ヴィソーザから、(多分)バダホスを抜けて、グアダルーペ、トレド、マドリードへと向かっている。その先は、帰路とは異なる。

 

私は今回、バルセロナからリスボンまで、期せずして四人の少年たちと同じルートを通ったのかと、ちょっと嬉しくなる。だが棚にはあいにく、上下巻のうち下巻しかなかった。でも、これはどうしてもすぐ読みたいと借りてきた。時折、若桑節炸裂といったところがちょこちょこ現れるが、それでも面白くてぐんぐん読み進められる。

 

この四人の使節がどのように描かれているか、同時期に書かれ、保存されている別の国の幾つかの古文書などと比較しているのだが、下記では、


"フィレンツェの国立古文書館にある使節関係の一文書では、リヴォルノの港代官マッテーオ・フォルスターニからトスカーナ公にあてた三月一日に一行の到着されている。・・・「日本の島なるインドの公子四人到来」・・・"(下・P,18)

 

"だからインドを日本と混同したり(なんで日本からインドの公子がくるの?)、スペイン宮廷で厚遇されたから公子だと早合点したりするようなまちがいは、羊毛と塩と使節の到着を同じ報告書に書くような男がやったことである。"(下・P,19)

 

と、この切り捨てぶりに笑ってしまった。このようなちょっとした箇所に、書き手の性格が表れて愉快だ。

 

また、後年、日本の研究者たちが少年使節に関して、

 

"「ほんとうに彼らがそう自分で考えたのなら、幕末明治の先覚者のように、日本の進歩改善に貢献したのに」"とか、"つまり、彼らの見たものは、日本に帰ったときは一条の煙にすぎない、と。"(P・99)

 

等の、彼らが"「傑出した」"人物ではなかったからだとする見方に、

 

"私はこれらの先人の時代と社会の認識のずれに呆然とする。"(P・99)

 

そして、

 

"少年たちが見たもの、聞いたもの、望んだものを押し殺したのは当時の日本である。・・・それでも、彼らは、自分たちの信じることを貫いて生き、かつ死んだ。このあとの章でわれわれはその壮絶な後半生を見るであろう。人間の価値は社会において歴史において名前を残す「傑出した」人間になることではない。それぞれが自己の信念に生きることである。"(P・101~102)

と結ぶ。

 

後の人間が、ちょうど後出しジャンケンのように、いかようにでも好き勝手なことを言うのは、歴史に限らずあらゆる場面において見られることなので、著者の呆然とした気持ちにはまったく同感だ。

 

続く、第6章、7章では、織田信長から豊臣秀吉徳川家康及び江戸初期までの当時の日本の状況を、各藩や公家等の文書はもちろん、宣教師の残した書簡を含めた文章まで丁寧に辿りながら示してくれる。それを読みながら、膨大な資料を丹念に当たる作業を思い、クラクラするほどだ。

 

単に資料を鵜呑みすることなく、信用に値するかどうかあらゆる方面から考察し、そこに著者の推測も加え、解りやすく披露してくれるので、ああそういうことだったのかと考えさせられることしばしばだ。

 

話が戻るが、第五章では、ローマ教皇グレゴリウス十三世に謁見する際、4人の内、突如中浦ジュリアンだけが、病気という理由で他の少年たちと一緒に行動できなくなったくだり、その解釈にはとりわけ興味をそそられる。そこには、少年使節を"「馬に乗ってやってくる東方の三人の王」"に仕立てたいという教皇庁の思惑があったという。

 

また、少年たちの謁見から19日後、グレゴリウス教皇が亡くなり、コンクラーベを経てシスト五世が誕生するのだが、その戴冠式に、ローマ市民たちに異常な感動を巻き起こしていた少年使節たちを利用することを考えついた辺りなど、教皇の地位を巡って背後に控える有力者たちの勢力図なども本当によく理解できる。

 

そればかりか、世界の覇権が、カトリックの国々からプロテスタントの国々へと移ってゆく時代までを俯瞰していて、タイトルにある"世界帝国"とはまさにこれであったかと納得する。そして、そのような世界情勢に目を向けることなく、内に閉じてゆく日本(徳川幕府)の姿が見えてくる。

 

エピローグで、

 

"しかし、私が書いたのは権力やその興亡の歴史ではない。私が書いたのは、歴史を動かしてゆく巨大な力と、これに巻き込まれたり、これと戦ったりした個人である。この中には、信長も、秀吉も、フェリペ二世もトスカーナ大公も、グレゴリウス十三世もシスト五世も登場するが、みな四人の少年と同じ人間として登場する。彼らが人間として姿を見せてくれるまで執拗に記録を読んだのである。"(P・449)

 

と、おっしゃるように、著者の個々の人間への洞察は深く鋭い。殊に、秀吉という人物が本当によく浮かび上がってきて、ヘエッー!そうだったのかとびっくりすることも多々ある。秀吉ばかりか、これまで何となく知った気になっていた人物像が、ひっくり返される思いだ。 ともかく、面白い。早く上巻も手にしたいものだ。