照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

フン族から逃れて沼沢地に移り住んだヴェネツィアの民〜『海の都の物語』

"「アッティラが、攻めてくる!」「フン族がやってくる!」"(『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年 1』塩野七生新潮文庫・P・18)"と、西ローマ帝国末期に、蛮族中の蛮族と恐れられたフン族から逃れようと沼沢地に住むという選択をしたことから始まったというヴェネツィア共和国に、そうだったんだとこちらもその冒頭の描写から興味津々だ。

 

何しろ、その凶暴さで知られた蛮族は、抵抗しようがしまいが、財宝を差し出そうが、情け容赦なく皆殺しにしたという。結局、逃げこむ場所などどこにもなく、葦が繁っているだけの干潟に移り住むことにしたそうだ。

 

ところで、このフン族の顔についての記述が同じ著者の『ローマ人の物語』([40]P・26、[42]P・96)にあるのだが、同時代人から見たというその描写には笑ってしまった。

 

"背丈は低いが頑丈で、動作がきびきびとすばしこい。彼らの顔は人間の顔というよりも平べったいだけの肉の塊であり、二つの黒い点が動いていることでそれが両眼とわかる。"とは、またずいぶんな言われようだが、怖ろしいフン族というイメージからは程遠く、だいぶマンガチックだ。

 

それとも、古代ローマ人の目には、"二本足で歩く人間というよりは野獣"と映っただけに、とても人間とは思えぬその容貌だからこそ、恐さが増したのだろうか。

 

それにしても、顔が平面的だの、目が小さいだのとは、かつて日本人もこのように形容されたのではなかったか。フン族の出自ははっきりとはしていないそうだが、匈奴説もあるということから考えれば、同じモンゴロイドとして日本人と似ていても不思議ではない。

 

ヨーロッパ中を恐怖に陥れたフン族も、アッティラが亡くなった途端に分裂してしまう。しかし、フン族がいなくなったからといって、ローマの覇権下で平和を享受していた時代がかえってくるわけではない。自分たちを守ってくれるはずの国など、もはや風前の灯に等しい。

 

結局、自分たちの安全は自分たちの手で守るしかないと、住まいには適さない、だからこそ敵も攻めにくい場所に一から町を築き上げ、その後海洋国家として一千年栄えたのだから、ヴェネツィア人たちの選択は正しかった。

 

しかし、読み進むにつれ、商売のやり方から共和国の運営まで、ずいぶん上手い仕組みを考えたものだとまったく感心してしまう。当時最大のライバルであったジェノヴァとの比較が、殊に興味深い。

 

ヴェネツィア人と違って個の意識が強いジェノヴァ人は、海運業が上手くいかないとなると、何のためらいもなく海賊になってしまうという。むしろ、本業よりは海賊業に転じて財を成した者もいるそうだ。

 

また、ヴェネツィアとは、双方ともが経済的優位に立とうと戦闘を繰り返したというが、ジェノヴァの艦隊を率いる提督についての記述には、まったく笑ってしまう。

 

"大胆なジェノヴァ人の中でもとくに大胆不適で有名であったグリッロという名のジェノヴァ提督が、提督というよりも海賊の親玉と呼ぶほうがふさわしい男であったが、"『ヴェネツィア共和国の一千年 3』P・58)

 

他にも、

"一気にライバルを蹴落とそうと前代未聞の大艦隊を作り、出航したはいいけれど、ジェノヴァ艦隊の提督ドーリアが、自分が不在の間に本国政府を反対派が狙うのを怖れてジェノヴァに引き返してしまったという。"(P・67~68)

 

この謎の行動は、戦いの行方を見守っていた他国をあきれさせたということだが、後世の私たちから見ても、まったく何やってるのという感じだ。結局、このような内部抗争に終始していたがために、天才的な航海術をものにしていたジェノヴァが、地中海の覇者になれなかったというのも頷ける。

 

また、ジェノヴァ人は、"商用であってもこれほど多くの旅行者を出しながら、その中の誰一人、旅行記を書き残した男はいない。・・・同国人であろうと他人に知られ、それによって利益が減るのを怖れて、徹底的に秘密を保とうとしたのである。"(P・63)

 

ちなみにマルコ・ポーロは、ヴェネツィアジェノヴァとの戦いに敗れた後、ジェノヴァの牢屋に入れられていた間に、旅行記(口述)が作られたそうだ。

 

"ヴェネツィアジェノヴァも、海洋貿易によって大を成した国である。輸出も輸入も、ほとんど同じ品であったのだ。それでいながら、生き方にこれほどのちがいが出たのだから興味深い。"(P・31)

 

ところでこの違いは、やはり沼沢地に移り住まなければならなかったヴェネツィア人たちの国の成り立ちが大きく影響しているのだろうか。中世で、"国家に対する忠誠、つまり共同体意識が強かったという点で、実に珍しい例であった。"(P・31)そうだから。

 

それにしても、ヴェネツィアジェノヴァも一人の人間の如く、そのイメージが目の前に浮かんできて、国というのは、結局そこに住む人々の総体だということが本当によく分かる。

 

また、ヴェネツィア共和国という一国の歴史ばかりか、当然ながらその国を取り巻く他国との関わりで、当時の地中海世界を中心とした情勢も自然と頭の中に入ってきて、ああこういうことだったのかと、いつの間にか世界史のおさらいまでできてしまう。全6巻のうち3巻まで終えたが、とっても読み応えがあって面白い。