照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

ヨルダン土産のデーツはちょうど干し柿のような味〜美味しい

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 デーツ(ナツメヤシ) 箱と共に

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デーツ

 

ヨルダン土産のデーツ(乾燥ナツメヤシ)、私は初めて食べたのだがとっても美味しい。この味には覚えがあるが、はて何だったかなと2つ目を口に入れているうちに、そうだ干し柿だと思い出した。ねっとりとした濃い甘さだけれど、この自然の甘味は私好みだ。でも、さすがに3個も食べたら十分満足した。

 

ちなみにデーツについて調べてみると、ずいぶん栄養価が高い。嬉しいことに、繊維や鉄分も豊富だ。しかも、あのオタフクソースにも使われているという。また、こちらではオタフクごちそう便なるもので、デーツの通販もやっているだけあって、デーツについても詳しい。というわけで、オタフクソースさんのホームページから引用させて頂くと、

 

"デーツは、イスラム教の聖典コーランに「神の与えた食物」、旧約聖書には「エデンの園の果実」と記載されており、ハムラビ法典に記載されている果実もデーツであると言われています。紀元前数千年も前から灼熱の地域で暮らす人々の健康を支えてきました。"
(デーツとはより)

 

「神の与えた食物」とまで称されるのだから、デーツは、古くからかなり重要な位置づけであったことが窺える。"灼熱の地"でも、ちゃんとその地にあった、しかも栄養がつまった植物が育つというところが、まさに神の恵みなのだろう。また、生で食べても美味しいらしいが、こればかりは、旬を狙って現地に行くしかなさそうだ。

 

"デーツは砂漠の過酷な条件で育成します。その生命力の強さから「生命の木」と呼ばれ、栄養価の高い果物です。鉄分、カルシウム、カリウムなどのミネラルや食物繊維が豊富に含まれ、その含有量は果実の中でもトップクラスです。"(デーツの力より)

 

とあって、ずいぶん優れものの食品なのだと、改めて感心してしまう。結局この日は、デーツが気に入り、後でもう数個つまんでしまったが、高価な干し柿同様、もっと大事に食べればよかったと反省。


ところで、ペトラ遺跡(ヨルダン)やエルサレム(イスラエル)を旅してきたのは次男だ。二千年前の遺跡と聞き、もしや古代ローマとも関係があるのかと思ったが、それ以前に作られたものだという。

 

ちょうど先月、古代ローマヴェネツィア及び地中海世界について読み終えたばかりだが、ヨルダンとかペトラと聞いてもピンとは来ず、エルサレムの近くと言われ、もう一度本を開いて、ようやく位置関係が掴めた次第。ついでにポンペイウスの項を読み返せば、確かに、ペトラに攻め入ったとある。ちなみに、ローマの属州になってから作られた劇場は、今も現存しているそうだ。

 

また、エルサレムで撮った写真(ゴルゴダの丘までの「悲しみの道」等)を、ここでキリストがつまずいたとか、汗を拭ってもらったとかの説明を聞きながら見ていると、500年以上も前、ヴェネツィアが催行した聖地巡礼パックツアーのことなどが思い出されてくる。飛行機で気軽に行ける現代に比べ、当時の旅の困難さを思えば、感激もまたひとしおであったに違いない。

 

そして、不意に、聖地巡礼とはこういうことかと、昨今の人気アニメや映画の舞台となった場所を訪ねる旅に納得する思いであった。これまでは、そのようなニュースに接するたび、何のためにわざわざその場所を見に行くのかが今ひとつピンとこなかったのだが、多分、実際にその場に立って思いを共有するという、その経験が大事なのだと解る。

 

事実か、作り事の世界かには関わらず、追体験することで、対象とする人物、あるいはキャラクターへの思いを深めていくのだろう。例えばゴルゴダの丘までの順路にしたって、まったく関心のない者からすれば、誰がどこでどうしたか等は、聞いた場限りの事になってしまうだろう。だが、そうでない人にとっては、その労苦に想いを馳せ、教えを新たに心に刻むことに繋がるのかもしれない。おまけに、今やレンタル十字架まであるという。

 

そういえば、『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』を読んでいた時、なぜそれがと思うような様々な聖遺物があることにちょっと驚いたが、それと同様に、キリストに因む品、まして十字架は、もしそれが商売上の目的からレンタルされているとしても、ぜひとも背負ってみたくなる物なのだろうなと想像できる。

 

しかし、イエス・キリストについてその生涯を知らなければ、各国の美術館や教会に飾られている数多くの宗教絵画も、あの有名な誰それの絵かと、描いた人の技量にただ感嘆するのみであって、肝心な絵の題材にまでは思いが至らずに終わってしまいかねない。それよりも、ある程度の基礎知識を持って絵の前に立てば、見方がぐんと広がるだろう。

 

そして、更に舞台となった地を訪ねたら、まさに聖地巡礼だが、これまで見知った絵画に対しても、別の感想が湧いてくるかもしれない。と、こんなことを言う私だって、ピーテル・ブリューゲル描く『ベツレヘムの戸籍調査』に、実際のベツレヘムの地を重ね合わせることはなかった。

 

でも今回、エルサレムの写真を見て初めて、私の中でそれぞれ独立していた絵画が、ようやく一連の話に結びついた気がする。今まではどうしても、物語は単なる題材としてしか感じられなく、絵は絵としてのみ見てしまっていた。

 

所詮絵は好みの問題、好きに見ればいいよと長いこと思っていたけれど、やはり、背景や約束事を知って見るのとでは、感じ方もだいぶ違ってくるかなと、遅ればせながら考えた次第だ。

 

ところで、イスラエルキリスト教だけでなく、ユダヤ教イスラム教の聖地でもある。これらについては、『ローマ人の物語』など合わせて読むと、より良く理解できる。

 

デーツから、想いはさまざまに飛んでしまったが、そのデーツの実る地からユダヤ教が起こり、そしてキリスト教イスラム教へと派生したことを考えると、更にいろいろな方面へと興味が広がってゆきそうだ。しかしお土産も、私がちょうど本を読み終えるのを待っていたかのように届き、まったくタイムリーであった。