照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

読後、身体中から元気と勇気と活力が湧いてくる『バッタを倒しにアフリカへ』

『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎著・光文社新書・2017年)、一体何の本?と題名に戸惑うばかりか、バッタに扮した著者の写真に、単なる面白本か何かと、書店で目にしても手に取ることはなかったこの本も、実は次男からの譲り受けだ。

 

だが、読み始めたらあまりの面白さに、やるべきことなど放り投げてでも読み耽っていたくなる。まったく困ってしまうが、何とか必要な時間との折り合いをつけながら熱中。読み終えた途端、元気と勇気と活力といったすこぶる良い気が、身体中から湧き出てきた。

 

内容は、アフリカでの真面目なバッタ研究に取り組む日々を描いたもので、

 

“本書は、人類を救うため、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げた死闘に日々を綴った一冊である。”(P・7)

 

と、まさにこの言葉通り、倍率20倍という難関を勝ち抜き、「日本学術振興会海外特別研究員」の制度を利用して意気揚々とモーリタニアに赴いた一人の昆虫学者の奮闘記だ。

 

しかし、いざ彼の地に渡ってみれば、

“バッタが大発生することで定評のあるモーリタニアだったが、建国以来最悪の大干ばつに見舞われ、バッタが忽然と姿を消してしまった。“(P・6)

 

そんな状態のままでどのように研究を続けるか、工夫の数々が、何ともユニークだ。殊に、満腹になったゴミダマ(正式にはゴミムシダマシ)の観察場面には笑える。”お腹いっぱいに食べたときの振る舞いが人間的で、なんとも言えない親近感が湧いてくる。“(P・141)

 

そんな有難くもない名前の持ち主とはどんな虫なのか、”この虫を雑に紹介すると、親指の第一関節くらいの大きさの角なしカブトムシだ。“(P・135)だそうだが、急遽、バッタが不在の間の研究対象となったこの虫に、こちらも興味を誘われる。「ああ、食った食った。今日は久しぶりのご馳走だったわい」と言いながら(実際はそんなことなど思わないだろうが)、重くなったお腹を抱えヨタヨタと歩く様が見えるようだ。

 

ところで肝心のバッタだが、ようやく見つけた一匹、「サバクトビバッタの孤独相の成虫」の写真のバッタには、哀切さとユーモラスな感じが入り混じっている。“5キロ歩いて一匹しかいない現状では、交尾相手に巡り合うのも大変そうだ”(P・135)に、このバッタの、生まれてからこれまでの人生ならぬバッタ生を想像してしまう。

 

ちなみに、「闇に紛れるバッタの幼虫」(P・41)は、その姿はもちろん虫そのものだが、全体の感じが、あたかも、擬人化しているかのようだ。バッタ生が始まったばかりの幼虫は、イソップ寓話の『アリとキリギリス』のキリギリスみたいに、明日のことなど少しも気にかけず暢気そのものだ。”トゲの生えた植物に潜んで“、カメラを向けた著者に笑いかけているようにも見えてしまう。

 

読むほどに、著者のバッタへの愛情が自分にも乗り移ってくる。だが実際、大量発生したバッタが農作物を食い荒らし、深刻な被害を引き起こすとあっては、可愛いだの、寂しくはないかいだのと、露ほどの同情もしていられない。むしろ、それぞれが孤独のまま、ひっそりとバッタ生を終えることが望ましいだろう。

 

と、まあこのように、モーリタニアでの研究生活が、一見面白おかしく綴られているのでずいぶん楽しそうと思えるが、実際は、様々な面で相当大変だったに違いない。

 

2年の海外研究制度の任期が終了した後も、無収入のまま自力で研究を続ける著者は、若手研究者の育成を目的とした京都大学・白眉プロジェクトという夢のような制度のあることを知り応募する。競争率30倍以上という超難関ではあったが、思いがけず一次審査が通り、二次審査での面接に臨むのだが、最終面接時に京大の松本絋総長(現・理化学研究所理事長)が、彼に労いの言葉をかけたというエピソードがそれを物語っている。

 

モーリタニアに何年目かと聞かれ、今年三年目ですと答えた著者に、

“それまではメモをとったら、すぐに次の質問に移っていた総長が、はっと顔を上げ、こちらを見つめてきた。
「過酷な環境で生活し、研究するのは本当に困難なことだと思います。私は一人の人間として、あなたに感謝します」
危うく泣きそうになった。”(P・299~300)

 

バッタをただ薬剤で防除するのではなく、生態を知ることで、被害を未然に防ぐための対策に活かせないものかと奮闘する著者に、この言葉は何と大きな励ましになることかと、読むこちらまで嬉しくなる。

 

アフリカに腰を据えて研究したいという熱意と本気度が伝わるからこそ、お金を研究所に呼び込むことのない著者ながら、モーリタニア・バッタ研究所のババ所長からも好意を抱かれ、期待もされるのだ。

 

ババ所長の言うように、

“バッタの筋肉を動かす神経がどうのこうのとか、そんな研究を続けてバッタ問題が解決できるわけがない。誰もバッタ問題を解決しようなんて初めから思ってなんかいやしない。”(P・81)

 

と、主に実験室だけで研究を進める先進国の研究者たちと、現実問題としてバッタの悩みを抱えている国との間には溝が深すぎる。そんなところに現れたバッタ博士である著者には、なんとしてでも研究をやり遂げて欲しいと、協力を惜しまぬのも頷ける。そして、ウルドという名誉あるミドルネームまで、授けてくれた。

 

ところが、「~の子孫」を意味するウルドは、その後モーリタニア政府が、
“「みんな確実に誰それの子孫なので、ウルドいらなくね?」という根本的な指摘をし、ウルドを名前から削除するようにと、法律の改正案が出された。”(P・361)ということで、ババ所長さえも改名せざるを得なかったそうだ。

 

それにしても、著者はよく頑張っているなと思う。“億千万の心配事から目を背け、前だけ見据えて単身アフリカに旅立った”(P・6)だけでは、棚からぼた餅など落ちてくるわけがない。ましてや、自分の希望を繋ぐものとしてのバッタがいないからといって、寝て待ったたところで、果報など永遠にやっては来ない。“自然現象に進路を委ねる人生設計がいかに危険なことか思い知らされた。”(P・6)と著者も言うように、何しろ相手は自然だ。

 

しかし、そこで挫けたり、くさったりするのではなく、自分の夢を叶えるため、どのような戦略が必要かを考え抜く。それこそが、まさにファーブルたらんとするバッタ博士の真骨頂だ。読了後、「いざ我も続かん」と、ずいぶん勇ましくなっている自分にびっくりするほど、元気漲る本だ。