照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

家族の肖像としても興味深く読める『ライト兄弟』

ライト兄弟』(デヴィッド・マカルー著・秋山勝訳・草思社・2017年)は、有人動力飛行に世界で初めて成功したウィルバーとオーヴィルを軸に、後半は妹のキャサリンも加わった一家の物語で、彼らが互いにやり取りした手紙を主として組み立てられている。

 

ライト家の人々は、自分の見聞きしたことや感じたこと、その場の様子と細々としたことまで、あたかも暖炉の前でその日の出来事を家族に話して聞かせるかのように、まったく感心するほど頻繁に書き送っている。離れた地にいる間のそれぞれの近況は手紙を介すしかなかった時代とはいえ、巡回牧師をしていた父をはじめとして全員が実に筆マメだ。

 

兄弟が、自転車の製造・販売で資金を稼ぎながら、自分たちの夢である飛行機械を作ってゆく過程も興味深いが、後半、飛行に成功した後、売り込みのための試験飛行でフランスに滞在した折の、ウィルバーの物の見方や感じ方には更に気を惹かれる。

 

ウィルバーは、自由になる時間はすべてパリ探訪に当ててよく歩き回っており、“とくに足繁く通い続けたのがルーヴル美術館で、ここで何時間も過ごしては、延々と続く館内の通路をこれまで以上にじっくりと見て回っていた。”(P・199)そうだ。

 

レンブラントやハンス・ホルバイン、ヴァン・ダイクのほうが、ルーベンスティツィアーノ・ヴェチェッリオ、あるいはラファエロやムリーリョよりも「総じて」優れていると推していた。「モナ・リザ」に失望したのは、ノートルダム寺院のときと同じだった。“(P・199)ということで、ダ・ヴィンチの作では、「洗礼者ヨハネ」が気に入っていたという。

 

一般的に高い評価を受けているか否かに依らず、自分の感性に合っているどうかで判断するという姿勢は、いかにもウィルバーらしい。“「白状すると、巨匠の手になる絵画で印象に残ったのは、一番世に知られている作品ではありませんでした」“(P・199)と、”白状する“という言葉を使っているところも微笑ましい。

 

”本人はそれまで建築と絵画に関してあまり興味や必要を覚えていなかったようである。“というが、いざパリに来ると、俄然高い関心を抱いたようで、”目にした絵画について書いたウィルバーの手紙は何枚にも及ぶことがあった“(P・199)そうだ。

 

しかしウィルバーは、ヨーロッパ屈指の格式ある豪華ホテルに滞在しながらも、そこの素晴らしさについてはまるで触れておらず、通りの店々やオペラや劇場、通りを行く女性たちのファッションについてもまったく言及していない。

 

妹キャサリンにすれば、試験飛行する場所に木がどのように植わっているかよりは、人々の様子がどうであるか、振る舞いやファッション等に関心が強かったようで、その辺りをもっと詳しく教えてくれるようにと、ウィルバーには強い調子で訴えている。

 

もっとも海を越えての旅行など、普通の人々にとっておいそれとは叶わない頃で、まして、“仕事と家の責任でずっとしばられた生活を送ってきた“(P・297)キャサリンが、未知らぬ街のことを逐一知りたいと思うのも当然であったろう。だが、やがて彼女も、兄たちの渉外係のような立場でフランスに赴くことになる。キャサリンが、34歳の時だ。

 

フランス滞在中にフランス語の勉強も始めた彼女は、ラテン語教師をしていただけあって上達も早く、父への手紙には、”「いまではフランス語もだいぶわかり、かなり上手に話せるようになりました」“(P・308)と書いている。父は、ウィルバーが一年フランスにいても言葉を覚えようとしないことに気をもんでいた。

 

だが、そんな父への思いに応えるためというようむしろ、多分キャサリン自身、フランスでの、自分たち兄妹への歓待ぶりにすっかり気を良くし、言葉の習得にもことさら意欲が増したと思われる。何しろ、兄の手紙ではどうにも知り得なかったパリでの、”美しい淑女やお花やシャンパン“の世界を、まさに自分が体現しているのだから、それらをもっと知ろうと言葉獲得へ熱も入るわけだ。


題名が『ライト兄弟』というだけあって、当然飛行機に関する諸々の話を中心としているのだが、話の進行につれ家族それぞれの人物像もくっきりとしてきて、これは家族の肖像になっているということがよくわかる。ちなみに、ライト家にはこの3人の他に、長男、次男がいるが、彼らは自分たちの家族と共に暮らしているので、あまり登場しない。

 

そして、ウィルバーが腸チフスのため45歳という若さで亡くなった後は、父と兄妹の3人で暮らしていた。だが父も亡くなり10年ほど過ぎた頃、キャサリン52歳の折、オーヴィルの大反対を押し切り、大学の同窓生と結婚する。しかしその2年後、彼女も病気で息を引き取る。若い頃患った腸チフスに試験飛行時の墜落事故と、二度も生死を危ぶまれたオーヴィルは、76歳まで生きた。

 

この最後の部分を読みながら、ここから映画にしても面白そうと思っていたら、訳者あとがきによると、この本はドラマ化が決定しているそうで、権利を得たのは、トム・ハンクスとケーブルテレビのHBOとのことだ。どんな映像になるのだろう。

 

ところでそのドラマには、スミソニアン協会の会長チャールズ・D・ウォルコットの姑息さについてのエピソードも、ぜひ挿入してもらいたい。国から巨額の予算を注ぎ込んで失敗したラングレー教授の飛行機エアロドームに、後年こっそり改造を加え、飛行に成功すると、その部分を取り外すなどの隠蔽工作をして、彼こそがライト兄弟に先駆けて飛行に成功したと“お墨付きを与えた”のだ。

 

ラングレー教授の名誉回復を図ると同時に、そうまでしてライト兄弟の失墜を目論むとは、協会の権威主義に呆れかえるばかりだ。ウィルバー亡き後、ウンザリするほど様々な訴訟沙汰に対処してきたオーヴィルが、とりわけ激怒するのも当たり前だ。

 

彼らはその当時、“ラングレーに対して、兄弟は批判や軽んじた発言はいっさい口にしていない。それどころかラングレーには畏敬の念を寄せ、自分たちの研究においてラングレーの果たした役割に感謝さえしていた。”(P・144)という。しかし“この国でもっとも権威ある研究機関であるスミソニアン協会”の側からすれば、素人同然のライト兄弟が極低予算で製作したフライヤー号などに先を越されてたまるかという悔しさがあったのかもしれない。

 

成功した暁には、ただ空を飛びたいとの夢だけを追っていては済まされない出来事も多く、まったくドラマの要素たっぷりで面白かった。これも、次男から回ってきた本で、自分の関心分野とは異なる目に改めてありがとうという思いだ。