照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

言葉の力を初めて感じた日〜卒論の思い出

秋期入学の私は、その年、秋の卒業を目指していた。卒論指導日に持参した原稿を先生に渡して、後日改めて指導を受けることになっていた。
 
仕事を終えてから大学に向かい、教室の外でゼミが終わるのを待っていた。面談の開口一番、「これには論がありません。書き直して下さい」と、原稿の入った封筒を返してくれながらおっしゃっる。その瞬間頭が真っ白になって、手で顔を覆ってしまった。
 
提出許可が出るものと楽観していた私には、何が何だか解らなかった。やがて顔を上げて先生の方を見ると、「書き直すか、卒業を伸ばすかはあなたの選択です」とおっしゃる。
 
呆然と言葉もなく座っている私に、先生もさぞお困りになったのだろう。持参のビニール袋から、軽食を取り出して食べ始めた。とてつもない重石で頭を押さえつけられているようで、私は身動きできないでいた。
 
だが場は不思議なもので、おにぎりと野菜ジュースを見ているうちに頭もほぐれてきた。「わかりました」というと、「提出した場合、卒論試問は7月になります」とおっしゃる。通常は9月だが、7月末から2ヶ月ほど研究で海外へ行かれるとの事だ。
 
すでに午後9時近かった。お忙しい中、時間を割いてくださった先生にも申し訳ない。慌てて立ち上がると、挨拶してから返却された原稿を手に学校を後にした。書き上げるために費やしたこの1年は無駄だったのかと、足取りは重かった。
 
大学から戻る間もずっと考え続けていた。どれほど考えても、どうしていいか分からなかった。時間がなかった。製本まで考慮すると、卒論提出まで2週間である。そうすると、書き直すための時間は10日だ。ほとんど無理だと判断して、帰ってすぐHさんに連絡した。
 
「卒業を延期してはだめです。卒論は提出して下さい」、Hさんからの返信であった。メールを見ていると、力が湧いてきた。そしてHさんへメールした。「やってみます」。
 
その翌日から、会社から帰るとすぐにパソコンに向かった。会社の昼休みも無駄にはできなかった。土、日は文字通り寝食忘れてという状態で、朝から深夜まで書き続けた。そして何とか製本にも間に合った。受け取ると提出のため、その足で大学へ向かった。
 
卒論試問も済み、秋の結果を待つだけとなった。やがて合格通知がきた。嬉しくてすぐHさんに報告した。言葉に力があると感じたのは初めての事であった。Hさんの言葉がなかったら、ここまでくる事ができたかどうか判らない。
 
 私より1年先に入学し、前年の秋卒業していたHさんは、私の目標であった。穏やかで、人を包み込むような優しさを持ったHさんは、中宮寺の観音様を思わせる方だ。天性のカウンセラー気質なのか、Hさんの前にいると、心の奥底まで洗いざらい曝け出してしまう。そんなHさんの言葉だからこそ、力があったのだろうか