照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

男の本音の底へ目を向けて

女性は商品価値のあるうちに婚活をという記事を目にして、ルミネのCMに続きまったくうんざりする。男性の本音は、重々承知している。意識変革をしたいとも思わない。そんな男は、相手にしなければいいだけの話だ。

それならなぜ、そのような記事に反応するのかといえば、世界の潮流に従うふりをして、女性の活用をとお題目ばかり並べるからだ。本音のところで、女なんかの意識がある限り、女性の大臣や重役を並べようと、それはお飾りに過ぎない。

女性もまた、男の本音に迎合するような意識から抜けなければならないが、自分の考えのどこがおかしいのか気づかない人が多い。逆に言えばその意識こそが、男の本音を支えていることになる。

私の職場でも、かつて大手企業傘下であった頃、全社で人権問題に取り組んでいることをアピールしていた。年に一度、職場毎の社員教育が行われ、終了後は必ずアンケートへの記入があった。無記名とはいえ、そこへ本音を書く者はいなかった。殊に男性は、出世を意識していたからなおさらだ。小馬鹿にしきった本音を隠し、優等生的意見を書いていた。

これでは、人権問題で不祥事が繰り返されるのも、当たり前だと思っていた。今は別の企業に買収されているある事業部の、差別的発言が明るみに出た数年前、ああまたかと、意識が変わらない限り当然起こりうることだと思った。

私の職場でも、人権問題が、セクシャルハラスメントへ重心が移った。にもかかわらず、女性に対する意識はまったく変わらなかった。だが、その教育を受けて私もさまざまなことに気付き始めた。そして、ある理不尽なことに、戦略的に異議申立てをした。すると、いきなり変化があった。そんなこと言っても無駄と、私の考えを冷ややかに聞いていた同僚たちの意識にも、さざ波程度の変化が起こった。だが、男性たちには、人権教育など相変わらずお題目であった。

長い事、理不尽を強いられる側にいる者とそうでない者の溝は深い。おかしいと思うことには、些細なことから声を上げていかない限り、変えることなどできない。男の本音が、世の女性たちに全く指示されないと男性たちが気づかない間は、何度でも同じことが繰り返される。女性に対する意識は、すべての意識の素になっている。だからこそ、社会のあらゆる場所に男の本音が溢れている限り、発言者を一個人として相手にしなくても、その本音に関わらざるを得ないと強く思う。

つい最近、私の職場でも女を駒くらいに考える案が浮上し、憤慨したばかりだ。私は直接の当事者ではなかったが、男性の意識を変える方向へ意見を述べることが大事だと、改めて思った。当事者の同僚も、土日を挟んでじっくり考えた結果、遅まきながらおかしさに気付き異議申立てをしたようだ。声を上げるには勇気がいるが、必要なことだ。全身に勇気を掻き集め、届くまで相手に伝えよう。そうして、自分の場所は自分で住みやすくしてゆきたい。