照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

滅私奉公とは別の働き方を

責任感あふれる人は、仕事で滅私奉公的タイプに陥りやすく、自分が頑張らねばと張り切ってしまう。とことん疲れ果てた末に、何もなかったことに気づくが、その時はもう遅い。

だが、同じようにがむしゃらに働いても、奉公型ではなく自分のために働くならば、大きな物を掴むことができる。その違いは何かといえば、将来に自分の目的を持っているかどうかだ。自分に明確なビジョンも無しに、目の前の仕事を闇雲にこなしていては、ただ疲弊するだけだ。つれない言い方をすれば、いいように使われておしまいとなる。

ニースで、オーナーシェフとして昨年からレストランを経営している人のツイッターを時々読むが、日本にいた時の働き方に驚かされる。

自分が働いていたレストランがなくなった後、別の店へは移らずアルバイトとして仕事するようになった。魚について知りたいと、早朝から築地で、その後は、レストランでと、週6日、一日16時間以上働いたという。週休2日で40時間労働が基本の会社員から見れば、凄まじい働きぶりだ。

レストランでは、アルバイトにも関わらずさまざま事まで任され、それをこなした。皆からは、短時間のアルバイトなのにどうしてそこまでやるのかと呆れられたようだ。だが、その時の経験、殊に制限ある中での時間の使い方は、後々役立ったという。

寝る間もなく働いても、全てが自分に収斂してくるような仕事の仕方であれば、本当に実り多い。だが、滅私奉公的に働いていても、ただの自己満足で終わってしまいかねない。仕事に取られた時間を、充実と勘違いしてはいけない。常に自分の中に、キャリアを設定した働き方へと意識を変えていく必要がある。自分が意識しない限り、仕事に於いて本当の充実はない。