照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

旅好きになった子どもたち 後日譚

子どもたちを連れての旅行は、ヨーロッパへ行った年の冬休み、ニューヨークを訪れたのが最後だ。

あれからかなりの時が流れ、子どもたちは、今ではそれぞれ自分の旅を楽しんでいる。どちらも初めての一人旅から、いきなりハードで、旅慣れた人のスタイルになっていて驚かされる。彼等が訪ねた国の数は、さほど多くはないが、ボリビアだのヴェネズエラだのと、危険度の高い国ばかりに出かけて行っては、へなちょこ母さんの気を揉ませてくれる。

親を反面教師としたおかげか、長男などは、「旅先で身を守ってくれるのは言葉だよ」とのたまう。母はその言葉を有り難く受け止め、今日もラジオをAFN、時々NHK第二の語学番組に合わせ、聞こえてくる英語に耳を傾けている。もっとも彼のアドバイスは、いく先々の国の言葉を、片言でも身につけよということだが。

旅は、自分の好きな形で、好きなようにすればいい。難易度の高い国ばかり回ったからとて、偉いわけでもなんでもない。逆に、比較的安全な国を選んだところで、人にとやかく言われることでもない。自分がどれ程危険な目に遭ったか、旅の武勇伝を誇る人もいるが、あまり意味はない。どの地域へ行こうと、安全に旅して帰ってこられることが大前提だ。危ない経験など、ないに越したことはない。

長男も、インドやネパールはもともと興味があって行ったのだが、南米は、ヴェネズエラだけのつもりが、機会を得てたまたま、ペルーやボリビアにまで足を延ばしたに過ぎない。片言ながらその国の言葉を話し、かつ質素な格好でというように、本人も十分用心して回ったと言う。

要するに旅は、人に自慢するためではなく、自分の好奇心を満たすためのものだ。そこで自分がどのような人たちと出会ったか、訪れた国の文化や風景からどのような刺激を受けたか、感じるものが多いほど、実り大きな旅と言えるだろう。目指すのはそこだ。また、一人旅することで、人はより成長すると思う。

「行きたいと言っている人は、絶対行かないと思うよ。この時代、LCCを使えば、お金がなくても安く行けるんだよ。本当に行こうと思う人は、黙ってさっさと出かけているよ」と、長男がいみじくも言った。行動するかどうかは、自分次第だ。

それは旅だけのことではない。自分のやりたいことを声高らかに語る人は、結局何もしない。だが口に出さなくとも、やる人は黙って行動に移している。できない理由を数えあげるより、どうすればやれるか、その方法を探して、一歩踏み出せばいいだけ。

ちなみに、長男も次男も、忙しい仕事の合間を縫ってはしばしば国内外の旅に出る。あまりのフットワークの軽さに、若さ故かなと少しだけ羨ましく思う。また、彼等の旅話は、私などと違ってユニークで格段に面白い。

幾つになっても旅は可能だが、十数時間ものバス旅は、さすが今の私には真似できない。と言うより、軟弱な私は、かつて一度もハードな旅などしたことがない。これまでずっと、安全で身体が一番楽な旅を選んできた。旅のスタイルは人それぞれ、自分に合ったようにすればいい。

ともかく、あれこれ思い煩うよりも、手始めにどこかへ出かけよう!人生がきっと変わるはず。そして思いがけず、驚くほどの旅好きになっている自分に気づくだろう。