照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

本棚から人を判断するのは難しい

本棚を見ればその人が解るとはよく言われることだが、本当だろうか。私も若い頃から買い集めた本を捨てるまでは、どちらかというとそのような見方を疑うことがなかった。でも次第に、一概にそうとばかりも言えないのではないかと考えるに至った。

自分の衣食に代えてまで集めた本は、自分の軌跡そのもののように思え、大切に本棚に並べていた。捨てる日がくるなど、想像もしなかった。だが、引越しを機に、数冊を残し全て処分してしまうと、本への向き合い方にも変化があった。そしてやがて、冒頭のようなことに思いが至った。

本棚から人を判断するには、判断する人自身相当量の本を読みこなしていなければ、誰かの本棚を見たところで、持ち主に関してどのような意見も出てこないだろう。人と自分の本の好みがかけ離れ過ぎている場合は尚更で、相手を推測しようにも、手がかりすら掴めない。そう考えると、本棚を見れば発言は、自身を基準にした一種の俺様自慢ではないかと思えてくる。

数多くの本をただ読了したからといって、知識は増えるかもしれないが、それだけのことだ。別に自慢することでもない。もっとも、本は自分の楽しみとして読むのだから、誰かに自慢する必要もない。

しかし本を読む人というと、高尚な雰囲気でも漂うと勘違いでもするのか、鼻を高くした挙句、読まない人を見下すような態度にでる人も多々いる。だが本を読んでいるからといって、人間として立派だとは限らない。

本の内容が難しかろうが易しかろううが、本を読むのは自分の娯楽と、徹底して思っていた方がいい。自戒するのを忘れると、人に対して偉そうにしたくなる。但し相手からすれば、知識があるだけでは感服できないだろう。

本を読んだことをきっかけに、自分の内面にどのような変化が起きたのかが大切だ。例え一冊だけの本との出合いでも、そのような読み方ができればいい。それは本だけのことではなく、人との出会いや、旅した折に出合った異国の文化や風景にも同様のことが言える。

つまり、人が本をどのように読んだかを知らずに、ただ本棚を見ただけでは、相手の何も解ろうはずもない。にも関わらず、本棚を見れば発言をする人には用心をしよう。うっかりすると、延々と俺様自慢に付き合わされかねない。逆の立場になって、相手から迷惑がられるのは尚困る。

私は今でも本を読むのは大好きだ。深く心に沁み入る本に出合った時は、噛みしめるように繰り返し読んで、一人静かに感動している。自分の中で熟成した時、それらの本について書いてみるつもりだ。また、過去に感銘を受けた本などを読み返し、なぜその本に惹かれたのか、当時の自分を振り返ってみるのも面白そうだ。

それにしても電子書籍が普及している昨今、もう誰かの本棚を覗くという言葉自体古めかしいのかもしれない。