照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

希望のりんごの木に沢山の実が

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私が通勤で利用する電車の沿線には、りんごの木が一本だけある。ある朝、椅子に座ってぼんやりと窓外に目をやっていると、繁った葉の間に何かあるのに気づいた。単に葉が重なっているのか、それとも実なのかがはっきりしない。電車は一瞬で過ぎてしまうので、行きも帰りも、その辺りに差し掛かると、目を凝らして外を見た。


私が利用している電車は、座席が、バスのように左右に一席づつ一列に並んでいる。2車両だけの可愛い電車は案外混んでいて、座れるのは稀である。そのため、なかなか確認できないでいた。だが、葉と同じ緑色だった実が少しづつ色づきはじめると、やはりりんごであると判った。その途端、私の心に、喜びが一気に広がった。


りんごと判ってからも、電車がそこを通り過ぎるたび、目を凝らして見ていた。そしてその実を確認するたび、心がパッと明るくなった。りんごの木は線路のすぐ側にあるため、熟しても取る人はいなかった。またその実は、地面に落ちることもなく、丁度V字形になった枝の間にちょこんと収まったまま、朽ちるまでずっとその場に留まっていた。


色づいたりんごを見るたび、どんな味がするのか、一口齧ってみたい誘惑に駆られた。だが、人の敷地内をそっと抜けて、線路に立ち入るのは無謀だ。よほど酸っぱいのか、鳥がついばんだ様子もない実と、身の安全を引き換えにするほどのことでもない。実際に手にしてがっかりするよりも、自分の希望の象徴として眺めるだけに留めておいた方がいいと、自分に言い聞かせる。つまり私にとっての、「最後の一葉」と位置づけることにした。


それから毎年、りんごの花が咲く時期が楽しみとなった。今年は幾つ実をつけるだろうと、ワクワクして見守っていた。3個の時、ゼロの時と年によりいろいろであった。だが、茶色になって萎んでゆくまで木に残ったのは、初めてりんごに気づいた年、ただの1度きりであった。ニュートンのように、りんごが落ちるのを見る機会には恵まれなかったが、きっと下に落ちてしまったのだろう。


こうして通勤時、りんごの木を見る一瞬を、密かな楽しみとしていた。それが数年前、りんごの木は、丸坊主のように枝がすっかり切り落とされてしまっていた。これでは、枝が伸びて葉が出るまでどれほどかかるだろうと、すっかり気落ちしてしまった。花が咲く日がくるのかさえ疑問だ。ならば、その実を待つことさえできない。


そして、今年、小さな実が沢山成っているのに気づいた。これほどの実は見た事がなかったので、丸坊主効果なのかどうかはわからないが、ともかく嬉しかった。数年分のがっかりが、一気に数年分の喜びに変わった瞬間であった。その木は電鉄会社の所有物で、私が永遠に手にする事のない実ながら、自分の持ち物のように小躍りしたい気分だ。


通勤の折に眺めながら、その実を皆様にも見て頂きたいと一瞬のシャッターチャンスを狙った。しかし、かなりお粗末な結果となってしまった。それでも、私の希望のりんごを共有して頂ければと思う。どうぞ目を凝らして、小さなその実を探して頂きたい。